プログラミングの最近のブログ記事

 プログラマーというのは、プログラムが書ける人のことだと思ってた。他国ではともかく、システムエンジニアというのは、システム設計のできる人のことだと思ってた。確かに、バブルの頃は碌でもないのが、そう自称していたようだが、今でもそうだとは想定外だった。
彼らは、一体何を根拠にプログラムが「書ける」と自称するのだろうか。一体何を根拠に設計が「できる」と自称するのだろうか。
 だが今回、デスマーチ案件に関わってしまって(それ自体、契約違反なんだけど、まあ、それは置いといて)、自称したほどの能力もないのが明らかになったとき、彼らの行動は驚くほど同一だった、つまり【逃げる】。責任も何かもうっちゃって、人間として恥ずかしくないのかというくらい他のメンバーについて因縁をつけて合理化して逃げる。逃げる。逃げる。
 逃げれば勝ちだとでも思っているのだろうか。そんなことを繰り返していて仕事が続くと本気で思っているのだろうか。多分、先のことなんぞ考えていないんだろう。それだからこそ、リストラなんぞの対象に真っ先に上がるんだろうし、それについて他人を恨むだけで、わが身を振り返ることなんてない。
 逃げるにしても、撤退方法というのがあるわけで、でも彼らはそういうことに頓着しない。攻めるにしても、作戦というものがあるわけで、でも彼らはそういうことに頓着しない。それでは周りにどんな被害を及ぼしているか理解することも出来ないだろうし、実際、理解していない。結果、周りから恨みを買う。一体これからどうやって生きていくのだろう。
 仕事の責任を果たすということは、特に意識生産においては、完遂するという一点以外に方法はない。もちろん、その条件が整っていない限り、それは不可能な話なんだけど、少なくとも努力はすべきだと思う。そしてどういう条件が欠落しているから仕事を達成できないかということを訴えるべきだろう。
 仕事のできない、逃げることが習性になっている人間にはそれができない。声を上げることができない。もちろん、「できません」を繰り返していたら「無能」の烙印を捺されることは目に見えている。ましてや、「できません」とも言わず、仕事をでたらめにかき回すだけかき回して逃げていくだけの人間には、どんな評価が下されるか自明である。しかしながら、たとえそうでなくても、問題を前に手も足も出ないときては「無能」の烙印を捺されても仕方ないのではないだろうか。他人を責める前に自らの至らなさを自覚し、反省し、後悔し、その上で、学習を重ねて能力を伸ばす...他人にぶら下がることをよしとせず、自分の仕事について責任を引き受けようとする人間は必ずそうする。
 この2年、そうでない人間を多々見てきた。行動も同じ。言い訳も同じ。彼らが「技術者」を自称していること、「プロ」を自称していることに激しい怒りを抱く私はどこかおかしいのであろうか。

# それにしても顧客に質問すらできないのはどうよ。頭脳労働であるにも関わらず頭脳を
# 使ってないというのは、もはや救いようがないと思うが。

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