2005年1月アーカイブ

第二次世界大戦における日本の参戦を蛇蝎のごとく嫌っている人がいることは知っている。

本当にあったのかどうか異論のある侵略地での暴行を得意げになって糾弾のネタにしている人がいることも知っている。

日本の法に守られ、日本の繁栄を享受しながら、日本を窮地に追い込んでいく人々がいることも知っている。

かつては非国民と呼ばれた者どもが、現代は時代の寵児のごとき扱いを受けていることも知っている。

陰謀論めいているが、中国共産党の洗脳政策が順調に機能しているのか、まさかそんなことはなくとも、彼らにとって、祖国とはそれほどまでに唾棄すべき存在なのか。

思い切って「北」に制裁を…片山自民党参院幹事長

言いたくなる気持ちはよくわかる。確かに、核ミサイルが降ってくるかもしれない。あるいは彼はその発言によって更迭されてしまうかも知れない。しかしそれはごく当たり前に日本の行く末を案じている人々にとって共感し得る言葉であろう。

首相、正月の靖国神社参拝は見送り

国内情勢だけを見ていては政治はできない。ひょっとすると単にスケジュールに問題があっただけなのかも知れない。いずれにせよ今は、拉致事件と日朝交渉が絡んで難しい局面だ。発言や行動に慎重でなくてはならないだろう。

だが、これで鬼の首を獲ったかのごとく狂喜している輩がいるだろう。冒頭で述べた、うまい汁を啜るだけ啜って口先だけ「国際協調」だの「戦争責任」だのをしたり顔で持ち出してくるような人間のことである。

しかし彼らは一体どういう国を自分の子供や、孫、あるいはその子孫に残してやるつもりなのだろうか。危急の際、第一線に立つつもりもなく、自分は安全なところから、他人の子供たちに死んでこいと云うつもりなのだろうか。きっと晋の王衍を気取っているのだろう。

なんて卑怯な。

慰安婦問題で散々国民を煽った輩は、結局そのような事実を証拠として挙げることができないとわかると、理屈にもならない屁理屈で国民を騙す方向に走った。「広義の拉致」とはなんじゃらほい。そうまでして誇りを捨て、日本を貶め、犯罪者国家の一員として、将来にわたって生きていけと、彼らは若者に強制する。

今回、北朝鮮に制裁を加えろと口にした政治家に、賛辞を送りたい。我々はいつまでも東京裁判史観に囚われているわけにはいかないのだ。小泉首相が靖国参拝を諦めたという事実は、未だ国内においてすら、自らの子孫を理由のない罪人として縛り付けておきたいという勢力が存在することを示し、またしてもそれに屈服したということを表している。

一体、この国の大人は、どんな社会を子孫に残すつもりなのか、自らの子孫を永遠の罪人としてゴルゴダの丘に磔しておくつもりなのか。引退間近ではあるが、現時点での指導層である60年安保だの70年安保だのを経験した世代は、所詮、自分がよければ子孫などどうでもよいのではないか。その薫陶を直接に受けた世代人も変わらないだろう。彼らは懲りない。自称エリートの節操のなさは、戦前の「五一五事件」だの「二二六事件」だのを振り返るまでもなく、日中戦争を省みるまでもなく、口先だけの「自分たちが権力を握って好き勝手したい」というだけでの暴君のユートピアに過ぎないのだから、自らの権力のために日本を売るだろう。売るものがなくなるまで。

朝鮮の事大主義は、今もって改められていない。彼らは、もはや中国のコントロールも意に介さないだろう。地政学上、無視するわけにはいかないので、それなりには敬意を払い続けるだろうが、アメリカが本格介入するまでは、相手国を舐めきった態度に終始するに違いない。彼らにとっての中華は、既に中国ではないのである。そして、知識人だか、市民運動だかは知らないが、表面上利害を一致させた彼らは、これからも日本という国を貶め続け、搾取し続け、これに対し日本という国も傲慢な態度を続けてきたツケを払いきれず、つけこまれ続け...

新年に相応しい話題をと思ってみても、ドンキは放火の憂き目に会い、文字通り罪のない小さな女の子が変態男の毒牙にかかり、一体、我々は日本の現状をどう判断し、どう道をつけていけばいいのだろうか。道をつける気のある大人など一体、どれくらいいるのであろうか。不況を言い訳にして出入り業者に悪辣な要求を突きつけ、人権の名の下に再犯を繰り返す性犯罪者が世に跋扈する。これで「豊かな未来」を夢見ることのできる人間は、明らかに「何か」に洗脳されているとしか思えない。

もういいのではないか。暴力にさらされないと、生存権を剥奪しないと懲りない奴は、私権社会である以上、撲滅することはできないのである。生まれて間もない姪や、今年高校生になる娘、中学生になる息子のことを考えると、マスコミだの知識人だのの発するたわごとは、暴力でもって粉砕し、その上で、日本人を守ることのできる、その自覚のある世代を育てていくしかないのではないかと思うことがある。

そして、ことあるごとに蒸し返される日本の戦争責任だが、日本は単に敗北しただけである。もちろん、敗者ゆえに生殺与奪の権を勝者に握られてしまったことは仕方がない。でも、あれから何年たつのだ。今更軍事大国化しようとしても経済的に不可能であることは火を見るより明らかだ。しかも、戦争なんてどこの国でもやってたのである。「戦争は政治の一手段である」というのはクラウゼッツだったか。ある意味、それだけのことなのだ。そんなことで未来永劫、敵国条項に怯え、ありもしない戦争犯罪に怯え、子供たちが生きていく意味を持てない国に日本を押し込めていくのは正しいことなのか。

マスコミや知識人といえば、やらせは当たり前。編集次第で如何様にでも情報の印象を変えることができる。そんな情報をいつまで後生大事に拝聴しなくてはならないのか。ましてやそれは、センセーショナリズムに過ぎず、というよりむしろそうやって矮小化して真実を伝えないことがままある者たちの言説に、いつまで従うのか。

これから生まれてくる、あるいは今生きている子供たちに少しでも展望のある未来を残すことこそ、大人が年始にあたって祈願すべき内容であろう。

大人のなすべき唯一のこととは、誇りを持って生きていくことのできる社会を残すことである。

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