2004年11月30日


カテゴリ:[社会]

現代マスコミの体質

闇サイト:犯罪横行…捜査当局も手を焼く

別段珍しくも何ともない記事だが、丁度サンプルになるので、取り上げてみた。

詳しくは、当該の記事を参照して頂くとして、つまるところ、「インターネットが犯罪の温床になりつつある」かのように読者の不安を煽っているという内容である。確かにそういう側面があることは否定しないし、インターネットアクセス端末(携帯電話が特に著しいが)の普及に伴い、犯罪に利用されることも増えているだろう。

しかし、問題は、マスコミがこのような記事を単に事実を報道するためだけに掲載しているのではないという点にある。

例えば件の記事は、犯罪者が「(インターネット上の)闇サイトの匿名性」を悪用して仲間を募集し、「ネットカフェのパソコンや闇サイトで取引され(て不正に入手し)た携帯電話を使い、(警察の)追跡捜査を困難にしている。」としている。

# 上記段落中、「」内は引用。()は私が追記した注釈。以下も同じ。

問題はここから。「応募する側も、小遣い稼ぎで口座を転売したり、定職を持つ人が実行役に募集するケースもある」と、あたかも健全な市民が犯罪に手を染めるきっかけとなるかのような書き方をし、警視庁幹部の談話の形で「一般の人が罪の意識もなく犯罪に手を染める環境になりつつある。ただ『もうかります』と書き込んだだけで摘発したり、サイトを規制することはできない」と、無知な国民を陥れる悪辣な犯罪ツールが存在するのに、法で規制されていないため取り締まりもできないかのように結論付ける。その直後に、弁護士談話として「犯罪を助長するような内容であっても、表現の自由との兼ね合いで規制は難しい。」とあるのはそういう結論に読者を誘導するためだ。最後に大学教授の談話として「民が一体になり、ネットの危険性をユーザーに伝える努力が必要ではないか。膨大なサイトをプロバイダーに確認しろというのは酷だ。」と一見当たり前のようで、つまるところ、「インターネットとは無法地帯かなにかのようだ」と言わんばかりの落ちをつける。

で、何が問題かというと、これが「悪者はあいつだ!」とでっち上げて、一般大衆を扇動するマスコミの常套手段だという点にある。別に毎日新聞だけのことではなく、増してやマスコミが新興のメディア(?)であるインターネットの悪口を言っているなどという矮小な問題なのでもない。根本原因の追究だとか、背景構造の分析だとか、要は「本当に問題なのは何なのか」ということが全く検討もされず、取り敢えず「あいつが悪者」と言っておけば、何かを言ったような気になっていると思われる点が問題なのである。上記の記事にしたところで、「インターネットは危ない」ということしか言っていないのだ。しかもその根拠は、「闇サイト」が蔓延しているから。全く、思考停止以外の何物でもない。

確かに短い記事で全てを言い尽くすことはできないが、それならそれなりの書き方をすべきであろう。少なくとも、このやり口は、かつてナチス党がワイマール体制を罵倒し、ユダヤ人を国家の敵と名指しすることで権力を奪取し、支配体制の維持を図ろうとしたことと何も変わらない。

いや、既に言い古されたことだろうが、現代のマスコミは第三権力として、その持てる力を余すことなく振るうことができるという点を踏まえると、より悪質であると言っても過言ではなかろう。なにせ、反論ですら、極めて困難であり、大抵の場合、事実上不可能だからである。

とはいえ、マスコミ人も紋切り型の記事さえ垂れ流しておけば、わが身安泰と思っているわけではなかろう。彼らの言う、報道の使命というものを多少なりとも真面目に考えている人なら尚更である。それにしては、目の覚めるような着眼点だとか論点だとかに、少なくともここ数年はお目にかかったことがない。

なぜだろうか?

彼らも日々「記事を生産する」という仕事に追われ、時間のかかる、手間もかかる、おまけに人手もかかるような構造分析や原因追究ができないでいるのだろうか。しかし、「真実を報道する」というのが彼ら自身の存在意義のはずだ。真実とは、断じて思考停止のことではない。その存在意義をうっちゃって、仕事も何もあったものではない。

待て待て。何も彼ら自身で真実の追究を行わなくてはならないものでもない。要は、それを報道するのが彼らの役割だからだ。彼ら自身にできないのであれば、学者だの評論家だのという知識人に委ねればよい。しかし、よく考えると、マスコミのネタ元はそういう知識人である。その知識人自身からそのような論点が出てこないからこそ、思考停止の見本のような記事や番組が量産されていると言うことができる。

と、するならば、もはや現代の知識人には、そのような力がないと考えるべきではないだろうか。それが引いては、マスコミの体たらくとなって現れているのではないだろうか。にも関わらず、なお何かしら意見を述べ立てなくてはならないからこそ(それが日々の仕事なので)、例として取り上げた上記の記事のように、取り敢えずそれらしい対象をでっち上げることで、原因や事態を把握している風を装わねばならないのではないか。

更に言えば、これを常套手段と言い切ったのは、ここ二、三年の傾向を見てそう判断したのではなく、かなり昔からそういう手法が採られているように思えたからで、そうすると、これは現代マスコミや知識人の資質だとか、業界事情だとか言った類の問題ではなく、もっと本質的な部分で、事実の追究や分析を阻害するものを内包していることに、そもそもの原因があると考えられるのである。

第二次世界大戦前、参戦を煽るだけ煽っておいて、いざ敗戦となると口を噤んで、あたかも自らが一貫して反戦の使徒であったかのように振る舞い(特に朝日は酷いですね)、反省や懺悔などどこ吹く風(その癖、政治家に弱みを見れば、歴史を捏造してまで謝罪と反省を要求する始末)。厚顔無恥なだけかと思っていたら、どうやらそれだけではなさそうだ。今更マスコミの論じるところを鵜呑みにする人も多くはないだろうが、それにしてもオピニオンリーダーを自称するなら、もう少し危機感に溢れていてもおかしくはないと思うのだが、

それとも、マスコミの方々は、自分たちが未だに輿論を産み出し、導いているし、今後もそれは変わらないという幻想に浸っておられるのであろうか。

投稿者 matu'ko : 投稿時刻 13:30

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