「天下大計を成すには、「天の時」を得、「地の利」を生かし、そして「人の和」が
 不可欠である。」
 中国の三国時代に於いて、とある英雄が語ったと言われる言葉がある。
 後に彼は皇帝の位に就くまでになった。

 そして現代‥‥1人の少女がそれを実践した。
 天の時を得、
 【絶妙なタイミングで龍之介に約束を取り付け。】
 地の利を生かし、
 【隣に住んでるからな。】
 そして、人の和を唱えたのだ。
 【和? 不和じゃないのか?】

 そう! 水野友美はバレンタインデイ当日に、龍之介をデートに誘う事に成功した
のだ。



『Lady Generation』

(Episode 5)

〜After The Lady Generation4〜


構想・打鍵:Zeke

 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。
 また本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。




 パタパタ‥‥
 髪に結わえたリボンが階段を一段上がる度に上下に揺れる。
 上がり切った階段の向かって右側の部屋が自分の部屋で、その反対側が龍之介の部
屋だ。
 後ろ手に綺麗にラッピングされた小箱を持ち、唯はその部屋の前に立ち止まった。
 ドアをノックすべく右手を上げるのだが、そこで動きが止まる。
「ふぅ‥‥」 
 小さな溜息をひとつ。
  かなり緊張しているようだ。それも当然で、今、唯の手に握られているチョコは去
年までのチョコとはまるで違う意味を持っていた。
 妹としてではなく、ひとりの女の子として想いを伝える為に、唯はそのドアを叩こ
うとしているのだ。

「もう、妹じゃだめなんだから‥‥」
 口の中で呟くと、意を決したように唯はそのドアをノックした。

 コンコン
「お兄ちゃん、入るよ?」
 龍之介の返事を待たずに唯はドアを開け、部屋の中に入った。土曜日とは言え、今
日は休日なので、龍之介はまだ寝ている時間だ。返事を待っていたらいつまで経って
も中には入れない。
「お兄ちゃん、朝だよ。起きて。」
 ベッドに歩み寄りかけた唯だが、その唯の頬を「さあっ」っと冷たい風が撫でる。
 不審に思って、首を巡らすと‥‥窓が全開になっていた。そして、カーテンやらシー
ツやらで作られた急造ロープが庭下に垂れ下がって‥‥
 慌てて窓に走りより、下を覗くが、もちろん龍之介の姿は無い。
「あぁ〜〜! 逃げたぁ!」
 なんとも情けない叫びを上げる唯。
 しかしすぐに我に返ると、今度は向かいの窓に向かって叫ぶ。
「友美ちゃん、友美ちゃん。」
「‥‥‥。」
 返事がない。
「えーと‥‥」
 人間慌てていると何をしでかすか分からない、
 辺りを見回す唯の目に1冊の分厚い本が目にとまった。
『ジェーン年鑑』

「へーっ、お兄ちゃんこんなのに興味があるんだ。‥‥これなら気付くかな?」
 その分厚い本を持ち上げ、向かいの窓に狙いを定める。
「うっ、重いよぉ‥‥」
 よろけつつも砲丸投げの要領で構え、更に助走をつけて‥‥
「えいっ!」
 気合いと共に投げつける。

 ガッシャーン!!
【おあいこだな。】

            ☆             ☆

 さて、場面は変わって八十八駅前。

「あら?」
  安田愛美が声を上げたのは、見知った顔とすれ違ったからだ。
 ところが相手の方は愛美には気付かなかった様子で、振り返りもせずに雑踏の中に
消えていった。
「デートかしら?」
 愛美の頭の中に相手の娘の顔がポンポンポンと7つ浮かぶが、7つ目の顔が他の全
てを覆い隠した。
 追いかけて、からかってやろうかとも考えた愛美だが、反撃が恐いのともう一つ、
「とゆー事は、今『Mute』には邪魔者がいないってことよね。」
 何故か愛美の顔が、ほんのりと赤くなる。理由は簡単、愛美のバッグの中にもご多
分に漏れずチョコが綺麗にラッピングされ入っているのだ。
 彼女は一瞬の躊躇も無しにピザハウス『Mute』へ向かった。
 心なしか先程よりも若干早足だ。若干の早足がきちんとした早足に代わり、そして
駆け足に代わり、終いには100Mランナーさながらのスピードで愛美は『Mute』
へ駆け込んだ。

 からんからん
「いらっ‥‥」
 カウンター内の人物が迎えの言葉を発するよりも早く、駆け込んできた愛美は、
「マスター! あの‥‥その‥‥これっ、あたしの気持ちです。受け取って下さいっ。」
 ねるとんの『お願いします』ポーズで手に持ったチョコを差し出す。
 しかしそれに対する答えは余りにも無情な言葉だった。
「ごめん、それは受け取れないよ。」

 ぐわん!

 ある程度予想していたとは言え、さすがに面と向かって言われるとショックが大き
い。数秒間愛美の動きが止まってしまう。
 相手は続けて、
「私、そんな趣味無いから。」
「へっ?」
(そんな趣味無いって? なに? どーゆー事? もしかしてマスターって『あにき』
 な人?)
 間抜けな声を上げ、更に危ない考えが愛美の頭の中を支配し始める。それでも恐る
恐る顔を上げた愛美の目に‥‥邪魔者(愛衣)が哀れみの目を向けていた。
「デ、デートじゃなかったの?」
 思わず身を引く愛美。
「どーして私がデートしなきゃいけないのよ。」
「だってさっき龍之介君が‥‥」
 そこまで言ってから「しまった」と思った。慌てて手で口をふさぐがそれでは全く
の逆効果だ。ところが‥‥
「バレンタインだからね。デートぐらいするんじゃない?」
 その声は拍子抜けするくらい落ち着いていた。
「‥‥どうしたの?」
 愛衣の目を覗き込む様にして愛美が見る。
「何が?」
「だって妙に落ち着いてるから‥‥」
「龍之介が何処で何をやっていようが、誰と一緒にいようが私には関係が無いじゃな
 い。」
「ふーん‥‥あ、私ココア。あったかいやつね。」
 愛美がオーダーを出し、その後無言の数分が流れる。カップと受け皿の触れ合う音
だけがその場を支配した。

「‥‥‥‥で?」
 その空気を打ち破ったのはやっぱり愛衣だった。
「何処で会ったの? 龍之介と‥‥」
 愛美とは目を合わさずに聞く。
「何処で何をやっていようが関係無いんじゃなかったの?」
「わたしはね。でも、唯がかわいそうじゃない。」
「ふぅ〜ん。」
 あからさまに疑いの眼差しを向けるが、愛衣はそれに気付かないフリをする。
 愛美の方もこれ以上からからうと何が起きるか容易に想像出来たので大人しく、
「八十八駅前」
 とだけ答える。
「八十八駅前ね。‥‥って事は如月町か。となると『ATARU』ね」
 見事な三段論法だが間違いではない。
「ちょっと電話かけてくる。あ、コーヒーお待たせ。」
 そう言ってロッカールームに消えていく。
「え? ちょっと、私頼んだのココアだよ。」
「ごめん、今切らしてるんだ。まあ、変にもったいぶった罰よ。アイスコーヒーじゃ
 ない分マシだと思って。」
 日の丸弁当が「究極のやきもちアイテム」ならアイスコーヒーは「至高のやきもち
アイテム」という地位を確立しつつあった。

                   ☆

「うん、うん、わかった。こっちで何とかするから。」
 ピッ!
 受話器を置いた唯の顔は青ざめていた。龍之介が部屋にいない事が分かった時点で、
全員の所在を確かめたのだが、友美だけが捕まらない。
 そして今の愛衣からの電話により、疑惑は確信へと変わった。
「友美ちゃん‥‥」
 そう呟くと、鍵付きの引き出しを開け、中から一冊のファイルを取り出す。協力者
としては最高のブレーンである友美だが、敵(敵?)に回ればこれ以上の驚異はない。
 もちろんそれに対する対策も彼女達は持っていたが‥‥。
『Mission Honnouji(本能寺作戦)』
 ファイルの表紙には、そう書かれていた。
 
 こうして、しつこくも新たなる闘いの幕が今、切って落とされた。

            ☆             ☆

 それから2時間後‥‥

「ふあぁ〜‥‥」
 如月町にある総合アミューズメント施設『ATARU』。その1階にある喫茶店で
大きなあくびをする龍之介がいた。
「やっぱり龍之介君と恋愛映画って無理があったかしら?」
 その向かいに座るのは、前回モノの見事に抜け駆けに成功した水野友美。
「その様子だと内容なんか全然覚えてないでしょう?」
 どうやら映画を見終わった直後のようだ。
「何言ってんだよ、我慢して見てたから今眠いんじゃないか。」
 あくびをかみ殺しつつ、龍之介が反論する。
「大体内容が陳腐なんだよ。幼なじみの女の子が想いを伝えられ無いなんてのはさ。
 それ以前に男の方が鈍感だな。ありゃ世界最強の鈍感男だぞ。」
 【銀河最強の鈍感男が何を言う。】
「はぁ‥‥」
 龍之介にも分かるように、友美が大きく溜息をついてみる。
「なんだよ、溜息なんかついちゃって。」
「龍之介君、分かってて言ってるのかしら?」
 "じっ"と龍之介の目を見る友美。
「なにが‥‥?」
 【全然分かっていないようだ。】
「はぁ‥‥」
 再び大きな溜息をつくが、気を取り直した様に椅子の上で居住まいを正す。
 そう、今日はこの幼なじみという中途半端な関係に終止符を打つべく、映画に付き
合って貰ったのだ。
「まあいいわ。それより‥‥」
 鞄の中から友美らしく、シックなラッピングのチョコレートを取り出す。
「今日、バレンタインでしょ。‥‥はい、あげる。」
 想いをこめている割にはあっさりとチョコを差し出してしまう。
「さんきゅ。毎年恒例の風物詩みたいなもんだな、友美のチョコは。最初に貰ったの
 は何時だっけか?」
 龍之介がそのチョコを受け取ろうと手を出すのだが、友美は"つい"とそれを引っ込
めてしまった。怪訝そうな顔をする龍之介。
「最初に上げたのは6歳の時よ。ちょうど10年前、あの頃は何の疑問も無く、ただ
 単に渡していたのよね。」
「今は、惰性で渡してるだけってか?」
 冗談めかして言う龍之介を友美が睨み付けた。
「‥‥な、なんだよ恐い顔しちゃって。」
 その言葉を無視して、
「ちょうど10年、節目なのよ。だから今年のチョコは去年までのチョコとは違うの。
 それでも‥‥‥受け取ってくれる?」
 もちろんこれは友美の『脱・幼なじみ宣言』なのだが、龍之介の内部では‥‥
《なんだろ? ‥‥もしかして手作りとか‥‥だから味の保証はしないって意味かな?
 それ以前に生命の保証もしないとか‥‥でも受け取らない訳にはいかないだろう
 なぁ》
 【全然想いが伝わっていない。】
 ほんの数秒、龍之介の中で葛藤があったのだが、
「あ、ああ。もちろん受け取るよ。ありがとう友美。」
 それは絶妙な間(ま)だった。友美にとってこの間は、自分の言葉がきちんと龍之
介に伝わり、尚且つ龍之介が答えを出す為の時間だと理解した。
「私の方こそありがとう。‥‥これからもよろしくね、龍之介君。」
 そして友美の手から、龍之介の手へとチョコレートが渡され‥‥

 ひゅん!

 ‥‥る直前、友美の手からそのチョコが消えた。
 もちろん龍之介の手にもチョコは渡っていない。‥‥続いて
 
 すかーん! 

 音がした方に友美が顔を向けると、‥‥壁に矢が刺さっていた。いや、矢だけでは
ない、矢はチョコに結ばれたリボンを引っかけて壁に刺さっていたのだ。
 呆気にとられる友美。

 恐る恐る矢が飛んできた方に目を向ける龍之介。その目に入ってきたのは‥‥
「いっ‥‥いずみっ!」
 矢が刺さった壁の反対側の窓が空気の入れ換えの為だろうか、数センチ開いている。
その窓の向こう側、距離にして約30m。その距離からわずか数センチの隙間を通し、
いずみはピンポイントでチョコレートを射抜いたのだ。

 もちろんその場にいたのはいずみだけでは無い。
「へー、大したもんね。この距離で当てるなんて。」
 本当に国民的アイドルなのか? と疑いたくなるくらいよく現れる舞島可憐。
《だから、龍之介君の為だったら芸能界を引退してもいいんだってばっ!》
 そして、
「その割には公式成績が良く無いのね。」
 これまた病弱な割には毎回欠かさず顔を出す杉本桜子。本編では『儚い』イメージ
だったのだが、このシリーズでは『逞しい』が定着しつつある。
「うるさいな。本番で真価が発揮できればそれでいいんだよ。大体大会で良い成績を
 修めるために弓道をやってる訳じゃないんだ。」
「じゃあ何の為よ。」
「胸の形を良くする為にやるのは(そのサイズじゃ)意味が無いって、この前教えて
 上げたわよね?」
「ちがわいっ! 私が弓道をやっているのは‥‥」
「やっているのは?」
 可憐と桜子が同時に聞き返す。それに対しいずみはやや頬を染め、俯きながら‥‥
「龍之介の‥‥ハートを射止める為だよ。」
 【ハートって心臓の事か? ‥‥死ぬぞ。】
 言ってしまってから、相当恥ずかしい発言をしてしまった事に気付いたのか、照れ
を隠すように、
「と、とにかくっ、友美! 無駄な抵抗はやめて大人しく出てこい! 今出てくれば
 親友の好(よしみ)で減刑してやるぞ。」
 二の矢を番(つが)えながら叫ぶ‥‥が、
「‥‥‥あれ?」
 二人の姿は喫茶店内から消えていた。
「ちょっと目を離した隙に‥‥さすがね。」
 普段なら此処で一悶着【誰の責任で逃がしたか等】あるのだが、今回は違った。
「ターボくんっ!」
 桜子の号令一下、肩に乗っていたターボが、勢い良く飛び立つ。
 暫くするとそのターボが上空で旋回を始めた。
「あそこよ。」
 桜子が先頭に立って走り出す。もちろん可憐といずみもその後に続いた。

「いた。」
 さすがにバードビューは違うと言った所だろうか? 3人は5分も掛からず歩いて
いる2人を発見した。
「友美ぃ―――!」
 親の敵と言わんばかりに、いずみが矢を番え‥‥

 ひゅん!

 矢は友美と龍之介のちょうど中間を通り抜け、アスファルトへ突き刺さった。
 【シャレにならん‥‥】
 慌てて2人が駆け出す。しかも手なんか繋いで‥‥。
「逃がすかっ!」

 ひゅん ひゅん ひゅん

 立て続けに3本射るが、全て外れる。
 【当たったら大事だ。】
「何やってんのよ、さっきのはまぐれ?」
 可憐が諫める。
「馬鹿言うな、いくら何でも当てる訳にはいかないだろ。威嚇で足止めしないと‥‥」
 しかし相手にも威嚇射撃だというのが分かっているらしく、一向に立ち止まろうと
はしない。
「ええーい、もう! じれったいわね。ちょっと貸しなさい。」
 可憐がいずみの手から弓を取り上げようとするのだが、
「冗談じゃない、素人がそんなに簡単に射れる訳ないだろ。それにお前に貸すと良か
 らぬ事が起きそうで‥‥」
「そんな事言ってたら逃げられちゃうじゃない、いいから貸しなさい。」
 強引にいずみの手から弓と矢を取り上げ、構える。

 ‥‥
「へぇ、結構さまになってるな。」
 弦を引き絞る可憐を見て、いずみが感心したように呟く。
 しかし、いずみは‥いや、桜子も気付いていなかった。可憐の目が尋常じゃ無い事
に‥‥。
 ‥‥ ひゅん!
 解き放たれた矢は、一直線に友美の背後へ突き進み、

 ひょおっ! 
 ぱさっ

 彼女の右側わずか3センチを掠め、彼女の自慢の髪を一房、地面に落とした。
「こ、殺す気?」
 さすがの友美もこれには肝を冷やした。立ち止まり、背後を振り返ると可憐が次の
矢を弦にかけている所だった。

「ふっふっふっ。逃がさないデス。」
 完全に目が据わっている。おまけに言葉のイントネーションも少し変だ。
 【やっぱり良からぬ事が起こったか‥‥】
「《獅子はニワトリを裂くのにも牛刀を用いる。》と言うのヨ。」
 更に妙な諺(ことわざ)を使いだした。どうやら『獅子はウサギを捕るために全力
を出す』と混ざっているようだ。     
 わかる人にしかわからないが、今、舞島可憐の身体に宮内レミィが降臨したのだっ!
 【2人とも金髪で"ばいーん"だからなぁ。】

「安心しなサイ、"みね撃ち"にしてあげマスから。」
 【字が違う‥‥】
 ひゅん!

 本気でシャレにならなかった。友美の運動神経が常人並だったら串刺しになってい
たかも知れない。
 矢は友美の耳に風切り音を残して、背後のアスファルトに突き刺さった。
 友美の背中に冷や汗が流れる。
「あは、あはははは。か、可憐ちゃん、降参。」
 両手を上げ投降の意を表すのだが、もちろん可憐には通じない。
 【お約束だからな。】
「ふっふっふっ、いい子ネ。今、楽にして上げマスから。」
 そしてまた矢を番える。不幸な事に、まだいずみと桜子は可憐の異変に気付いてい
なかった。
 ‥‥
 三度(みたび)可憐が弦を引き絞る。その時‥‥龍之介が叫んだ。
「可憐ちゃん! ウォーターバード!」
 【はいはい‥‥】
 咄嗟の声に、可憐が劇的に反応した。
「Where!(どこ?)」
 身体ごと視界を巡らす可憐の目に、鳥の姿が映った。‥‥桜子の肩に乗ったターボ
の姿が‥‥。
「Indeed!(ホントだ!)」
 慌てたのは、いきなり狙いを定められた桜子だ。
「ちょ、ちょっと! こっち向けないでよ。危ないじゃない。」
 後ずさる桜子に対し、相変わらず可憐は、
「ふっふっふっ。そーやって追いつめられた獲物は哀れに命乞いをするのヨ。」
「何言ってるのよ、狙うのはあっちでしょ! ‥‥あっ、ターボくん。」
 動物的カンとでも言うのだろうか? 危険を察知したターボは主を見捨て、上空へ
舞い上がった。
 なのに‥‥
「ふっふっふっ‥‥《一石を投じる者は二兎を得ず。》」
 まだ可憐の矛先‥‥いや、弓先は桜子に向いたままだ。

「今の内に‥‥」
 クラスメートの危機だというのに二人(友美と龍之介)はこれ幸いとばかりにその
場を逃げ出した。   
  そしてその背後では‥‥

「いずみっ! ボケッと見てないで、この娘を止めなさい。プラグを強制排出!」
「駄目だ、信号を受け付けない!」
 【あの信号がまともに受信された事があったか?】
「ふっふっふっ、《過ぎたるは、小(しょう)を兼ねる。》」
 支離滅裂な会話(?)が続いていた。

            ☆             ☆

「はあはあ‥‥な、なんとか撒いたわね。」
 追っ手から逃れる為に、駅まで全力で逃げてきた二人。
「ぜえぜえ‥‥友美、お前あの3人に何をしたんだ? 俺は心当たり無いぞ。」
「そうね‥‥でも心当たりが無くても原因は龍之介君よ。」
「は? そりゃ一体どーゆー意味‥‥」
 ゴォ―――――!
 龍之介の言葉は丁度ホームに入って来た電車の音にかき消された。

『如月ぃ〜 如月ぃ〜 ○○線、ご利用の方は3番ホームでお待ち下さい。
 1番線の電車は急行新厚木行き(ぉ。次は八十八駅に止まります。』
「と、とにかく、ここ(如月町)を離れましょう。」
 友美が龍之介を促し、電車に乗り込むとすぐに電車は走り出した。

「なんだよ、まだこんな時間じゃないか。」
 時計を見ながら龍之介がぼやく。まだ昼前だった。下り列車というのも手伝って車
内はガラガラだ。
 当然二人並んでシートに腰掛ける。
  
「どーするよ? これから。」
「どーするって‥‥龍之介君が決めていいわよ。」
  
「ほぉ、そんなこと言って良いのかな?」
「どうして?」
  
「ホテルヘ行って、ご休憩2時間とか言ったらどーするつもりなんだ?」
 わざといやらしい笑顔を浮かべ、友美の顔を覗き込む。 
「‥‥いいわよ。」
「だろ? だから迂闊に男に判断を委ねるなんて‥‥なに?」
 思わず聞き返すのだが、
「いいわよって言ったのよ。」
 聞き間違いでは無いようだ。
  
「はは‥は‥‥またまた、友美らしくない冗談だな。」
「‥‥龍之介君は冗談で女の子を誘ったりするの?」
 いつになく真剣な眼差しの友美。
「もの心ついた時からずっと龍之介君が近くにいて、ずっと龍之介君だけを見ていた
 の。だからわたし龍之介君だったら‥‥ううん、龍之介君じゃなきゃ‥‥。」
 眼鏡の奥の瞳を潤ませながら訴えるように龍之介を見つめる友美。

 しかし、やはりお約束というのはあるモノで‥‥
「な、な、なんて事を言ってるんですか! あなたはっ!」
 半ば叫ぶように友美の言葉を断ち切ったのは、
「せ、先生‥‥」
 二人の担任、片桐美鈴だった。
「高校一年生がご休憩だとか、延長だとか、お泊まりだとか、挙げ句に初めてなのに
 いきなり後ろからだとか、そんな会話をして良いと思ってるんですか!?」
 【そこまで言ってない。】
「ああ‥、教師生活25年。私のクラスから、こんっなふしだらな生徒が出るなん
 て‥‥」
  【そのネタ使うと、年齢がばれるぞ美鈴ちゃん。】
 両手で顔を覆い、涙に暮れる美鈴。
「故郷(くに)のお父さん、お母さん。美鈴はこんっなに頑張っているのに‥‥云々。」

「行きましょう。」
 友美が小声で龍之介に耳打ちする。
 両手を胸の前で組み、一人で悦に入っている美鈴の脇をすり抜けて、隣の車両に移
る二人。
「‥‥まぁ、いいわ。二人とも、今日は私に付き合って貰いますよ。正しい男女交際
 の在り方をきっちり‥‥あら?」
 美鈴が気付いたときには、二人とも更に前の車両移動するべく、連結部のドアを開
けているところだった。
「こら、二人とも待ちなさい。まだ話は終わっていませんよ。」
 カツカツとヒールを響かせながら美鈴が後を追う。

「だから俺が何をしたって言うんだぁ!」
 全然自覚のない龍之介も叫びつつ友美の後を追う。
 後ろから迫る美鈴に、友美も気が気ではなかった。折角龍之介と二人きりだという
のに‥‥おまけに追っ手(さっきの3人)も振りきったというのに‥‥思わぬ伏兵の
出現に少なからず焦っていた。自然と前方への注意も疎(おろそ)かになる。
 結果‥‥
 ドン!
 前方から歩いてきた人物にかなり勢いよくぶつかってしまう。
「あ、ごめんなさい。」
 慌てて頭を下げると、
「いえ、大したことはありません。でも電車の中でそんなに急いでどうしたんですか?」
 優しげな声。‥‥だが、聞いた事がある声だった。
 その人物は続けて、
「もしかして誰かに追われているとか‥‥。でもしょうがないですよね、だって抜け
 駆けしたんですもの。」
 顔を上げた友美の表情が凍った。そしてその後ろからは何も知らない龍之介が迫っ
ていた。
「うわぁ、急に止まるなぁ!」
 立ち止まった友美に制動が効かない龍之介が突っ込む。
 ドンガラガッシャン!!
 もんどりうって倒れる友美と龍之介、そして巻き添えを食ったみのり。

「いたたた。な、なんでみのりさんが此処に‥‥。」
「ふふ、私達を甘く見た様ですね。」
 みのりが不適な笑みを浮かべる。
「じゃ、じゃあまさかさっきの3人も‥‥ワザと私達を逃がしたっていうの?」
 【違うと思うぞ。】
 二人の間に緊迫した空気が流れる。しかし端から見ればそれはお間抜けな光景だっ
た。互いの手足が『知恵の輪』の様に絡まって身動きが出来ない。
 更に背後からは美鈴が‥‥
「先生もグルなの?」
「アレはイレギュラーです。」
 友美の問いに素直に答えるみのり。
「えーと、友美の脚がこれで、俺の手がこれ。で、みのりちゃんの脚が‥‥」
 龍之介の方はというと、なんとかこの場を脱しようともがいていた。
「そうか! ここをこう抜けば‥‥」
「いたい、いたい。」
「わ、悪りぃ。」
 龍之介が強引に脚を引っこ抜こうとすると、友美が悲鳴を上げた。
 
「世話が焼けるわねぇ。」
 見上げると、美鈴が呆れたようにこんがらがった3人を見下ろしていた。

「はい、じゃ水野さんは右足をゆっくり、加藤さんは左手を少し捻って‥‥」
「はぁ、助かった。」
 最初に龍之介が抜け出す。
「それじゃ‥‥あとは二人で何とかして下さいね。」
 にっこりと美鈴が微笑む。
「は? ‥‥あの先生? 私達は‥‥」
 友美とみのりの声が仲良くハモる。よく見ると友美とみのりの状態は、先程3人で
こんがらがっていた時より酷くなっているようだ。
「じゃあ、そう言うことで‥‥あ、龍之介君は私がきっちりと教育して置いて上げま
 すから。」
「せ、先生、ずるい。」
「教育委員会に訴えますよ。」
 二人が抗議の声を上げる。
「何とでも言いなさい。さ、龍之介君行きましょう。私の部屋で家庭科の授業の用意
 が出来てますから。今日はチョコレートの作り方ですよ。」
「はは‥‥か、家庭科も良いけど、先生の専門は国語じゃ無かったけ?」
 怪しげな微笑を向けられた龍之介が最後の抵抗を試みる。
「あら、何も国語が専門という訳では無いですよ。人間愛を説く道徳とか‥‥龍之介
 君が望むなら保健体育も教えましょうか?」
 【フランスの3流映画みたいだな。】
「はは‥‥は。」
 そんな美鈴に対し、龍之介はひきつった笑みを浮かべるしかなかった。
 【嫌なのか? 龍之介。】

 そうこうしている内に電車は八十八駅のホームに滑り込み‥‥
  
『八十八〜、八十八〜 2番線の電車は急行新厚木行きです。』
 車掌のアナウンスが流れる中、美鈴は龍之介の腕を取り、ホームに降り立った。
 そして‥‥いた。
 最後の一人が‥‥。

 思わず踵(きびす)を返す美鈴‥‥が、振り返った彼女の目前には、
「何処へ行くんですか先生?」
「早く降りないとドアが閉まってしまいますよ。」
 さすがに二人合わせてIQ500(推定)は伊達じゃない。いとも容易く美鈴の仕
掛けた『知恵の輪』を外してしまったようだ。
「あ、あら。‥‥良かったわね外れて。」
 進むも地獄、退くも地獄の美鈴。そんな美鈴に対し、友美とみのりはにっこりと笑
いながら、
「ええ、おかげさまで。」
 と、聞いた事もないような低い声で応える。

「お兄ちゃん、どうして逃げたの?」
 一方の唯は美鈴や友美には目も暮れず、龍之介をねめつけていた。
「毎年お兄ちゃんにチョコをあげるのは唯が一番最初だってわかってるはずだよね?」
 唯にとっては友美や美鈴が抜け駆けした事よりも、龍之介が自分を避けて逃げだし
た事の方が重要なようだ。
「だ、だってなぁ‥‥」
 唯の迫力にたじろぎながらも反論を試みる龍之介。
「だって‥‥なに?」
 例のうるうるした目で唯が龍之介を見つめる。
「うっ‥‥いや、まぁ‥‥そのなんだ。お前、それは反則じゃないか?」
 【確かにあの目は反則だ。】
 さすがの龍之介も唯にこの目をされるのは弱かった。
 ところが唯の方は龍之介のその言葉に急に笑顔になり、
「お兄ちゃん、唯の事を妹じゃ無く、他の女の子と同じように見てくれるんだ。」
 これは唯の勘違いと言うより、明らかに龍之介の言葉が足りなかった。
「そうだよね、一緒に住んでるからってみんなを出し抜いてチョコを渡すのは反則だ
 よね。」
 弾むような声で続ける唯。
「そ、そうそう。やっぱり勝負(勝負?)ってのは対等の条件でやらないと‥‥」
 龍之介は龍之介で、一時の恐怖から逃れるために、唯に調子を併せてしまう。
 【これが寿命を縮めるとも知らずに‥‥】
「うん、わかった。じゃあ誰からチョコを受け取るのかはっきり決めて。」
「よーし、まかせとけ‥‥ってどーゆー事だ?」
 未だに事情が飲み込めていない龍之介。
「だから誰からチョコを貰うのか決めるの。お兄ちゃんが。自分で。」
「くれるんだったら誰からでも貰うぞ、俺は‥‥。」
「そーゆう事じゃなくて‥‥鈍感なお兄ちゃんにもわかるように言うとね。」
「うんうん。」
「お兄ちゃんが誰を彼女にするかを決めるの。」
「ふ〜ん。 ‥‥って、なんじゃそりゃ〜!」
「知らないの? 16歳のバレンタインで最初にチョコを貰った男の子は、その女の
 子と未来永劫幸せになるって話。」
「そんな『伝説の木』もどきの話、誰が作ったんだ!」
「唯と、友美ちゃんと、可憐ちゃんと、いずみちゃんと、みのりちゃんと、桜子ちゃ
 ん。」
 【そりゃー、例の伝説より強制力があるな。】
 がっくりと肩を落とす龍之介。疲れはてて声も出ないといったところだろうか?
「さっ行こ。みんな『Mute』で待ってるから。」
 唯が龍之介の手を取り、すたすたと唯が歩き出す。

                   ☆

「じゃ、私達も行きましょうか?」
 みのりが友美を促す。
「そうね‥‥あら? そういえば、片桐先生は何処へ行ったのかしら?」
「さあ? どさくさに紛れて逃げたんじゃないでしょうか?」
「大変! すぐに捜さないと‥‥。みのりさんは先に行ってて。私も片桐先生を連れ
 て後から行くから。」
 脱兎の如く駆け出す友美だが、
「そうはいきません。」
 みのりが後襟を引っ掴み引き戻す。
「さっき先生はイレギュラーだって言いましたよね。」
 変わらぬ笑顔を向けてはいるが、その目は笑っていない。
「やっぱりダメ?」
 思い切りカワイコぶって、ほっぺに人差し指なぞ当てながら小首を傾げてみせる友
美だが、みのりはニベもなかった。
「当然です。私が何も知らないと思っているんですか? 水野さん、今日だけじゃな
 いでしょう?。」
「何の事かしら?」
 動揺を全く顔に出さずに友美は言い切った。

 ゴォ―――――  ‥‥‥
 通過電車がホームを駆け抜け、列車が巻き起こす風により2人の髪が舞い上がる。
  ‥‥‥

「そう、シラを切るんですか。」
 遠ざかる列車に一瞥をくれたみのりが友美に向き直る。そして‥‥
「真冬に秋物じゃ少し寒いんじゃないですか? 風邪をひきますよ。」
「!」
 ほんの一瞬友美の目に動揺の色が現れる。
「か、風邪をひいて高熱が出れば彼も諦めてくれるかしら‥‥ううんダメね、彼には
 切り札があるんですもの‥‥。」
「ここは海岸じゃなくて駅ですよ、はい。」
 みのりが自分の羽織っていたコートを友美の肩に掛けてやる。途端に友美の目が潤
み始めた。
「うっうっ‥‥みのりさん優しい‥‥‥‥でも、恥ずかしくて言えないっ!」
 "だっ"と駆け出す友美。
「あっ、水野さん。走るとあぶ‥‥」
 びったーん!
「‥‥ないですよ。足に釣り糸が結んでありますから。」

 こうして凄まじい頭脳戦(頭脳戦?)は、みのりの辛勝で幕を閉じた。

            ☆            ☆

30分後『Mute』

 店内には張りつめた空気が充満していた。
 どのくらい張りつめていたかと言うと、それまで店内にいたお客達が早々に引き上
げ、新しく入ってきたお客は急用を思い出し、まわれ右をしてしまうくらい張りつめ
ていた。
 お陰で今、店内には当事者達しかいない。
『Mute』のマスターに、
「営業妨害じゃないのか? これ。」
 と言われても否定のしようがなかった。
 【だから『憩』が使えないんだな。】

 もちろん張りつめた空気の発生源は例の6人だ。6人は誰が最初に龍之介へチョコ
レートを渡すかで無言の闘いを繰り広げていた。龍之介の性格を考えれば、最初に渡
した方が有利に決まっているからだ。
 
「‥‥で? どーなったの?」
  カウンター内の愛衣が正面のスツールに座る龍之介に聞く。
「まだ1個も貰って無い。」
 落胆を隠さずに龍之介が答える。
「あんなに候補者がいるのに!?」
 信じられないといった表情で6人の方を振り返る愛美。
 【まだいたのか。】
「ううっ、愛美さーん、恵まれない少年に義理でも良いからチョコをくれよぅ。」
 涙を流さんばかりの顔で龍之介が愛美に泣きつく。
「そりゃ、一応用意はしてあるけど‥‥いいのかしら? 私が先に上げちゃって?」
 愛衣を見上げ、愛美が悪戯っぽく笑う。
 龍之介はそんな愛美の行動には委細構わず、
「ああ、やっぱり愛美さんは優しいなぁ。」
 恥も外聞もなく龍之介が両手を差し出すと、愛美は「じゃあ、ちょっと待ってて」
と鞄の中からいかにも『義理です』と言った感じの板チョコを取り出した。
「はい。あくまで義理よ。」
 龍之介にではなく、愛衣に向かって言い、それを手渡そうとする愛美を
「あずみ。」
 愛衣が止めた。
「なあに? 愛衣ちゃん。」
 チョコレートを引っ込め、うれしそーに愛衣の顔を見上げる。愛美にしてみれば愛
衣から1本取ったという気分なのだろうが、愛衣の方は哀れみの目で愛美を見、その
背後にアゴをしゃくった。
「殺されるわよ。」
「え?」
 と言う間もなく愛美の両腕は可憐と桜子に抱えられていた。
「まさか‥‥愛美さん?」
「愛美先輩まで龍之介君の事を‥‥」
「え? え?」
 狼狽する愛美。
 【不幸だ‥‥。】
「ぎ、義理よ、義理!」
 無実を訴えるように叫ぶのだが、
「『でもちょっとだけ義理じゃないの。』って続けるつもりですか?」
 【り〜んり〜んり〜ん りりりん か・た・ぎりん 】
「りゅ、龍之介君、助けて。」
 愛美はわかっていなかった。この状況下で龍之介に助けを求めるのがどれだけ無謀
な事なのかを‥‥。
「お兄ちゃんに助けを求めるなんて、益々許せないな。」
「ああ、きっちりとルールを叩き込んであげないと‥‥」
 唯といずみが頷きあう。
「なぜなの〜〜〜?」

                   ☆

 連れ去られる愛美を為す術もなく見送った龍之介はカウンターに向き直ると、そこ
に突っ伏し嘆いた。
「ああ、やっぱり俺って不幸だ。」
 【愛美の方がよっぽど不幸だ。】
「なにが不幸よ。いつまでも特定の彼女を作らないでフラフラしている龍之介が悪い
 んじゃない。」
 呆れたような怒ったような愛衣の声。更に続けて、
「この辺できっちりケリをつけたら? あの6人の中から誰か1人選ぶのか、それと
 も‥‥」
 迂闊にも口を滑らしてしまう。
 もの凄く刺激的なセリフなのだが、実は当の龍之介には良くわかっていない。
「それとも‥‥なに?」
 【だめだこりゃ。】
「それとも‥‥何か飲む?」
 ホッとしたようなガッカリしたような声。
「飲み物なんかいらないからチョコくれ。」
「やーよ。私まだ死にたくないもん。」
()
 「昨日、誓約書書いたじゃないか。」
 「あれはデートの誓約書でしょ。しかもデートして貰って無いし‥‥その上他の娘
  とデートしてるし‥‥‥」
 「幼なじみと遊びに行っただけじゃないか。」
  【友美も不幸だ。】
 「私とデートしてないことに替わりは無いじゃない。」
 「うっ‥‥‥」
 「‥‥‥キスドロボー」
  ぼそっと言われると破壊力が増す。
 「ううっ‥‥飲み物でいいです。」
 ちなみにこの場合、龍之介にオーダー出来る権限は無い。オーダーした所で出てく
るモノは決まっているからだ。

 
 5分ほどして龍之介の前に置かれたのは、コーヒーカップよりやや大きいカップ。
 新手の攻撃兵器かと思った龍之介が、警戒心丸出しで中を覗き込む。
 どうやらコーヒーや紅茶と言った類のモノでは無いようだが、湯気は立っている。
「なにこれ?」
 疑問をそのまま口にしてみる。
「飲んでみればわかるわよ。」
「‥‥‥。」
 数秒間カップを無言で見つめていると、
「イヤなら代えてあげようか?」
 のお言葉がかかる。
 ここで「うん」とでも答えようモノなら絶対零度のアイスコーヒーが出て来兼ねな
い。龍之介は答える代わりに恐る恐るカップを手に取り、意を決すると、

 ごっくん。

 知っている味が口の中に広がる。甘さとほろ苦さと‥‥
「‥‥‥ココア?」
 聞いてみる。
「きらい?」
 正解だったようだ。
「いや、嫌いじゃないけど‥‥‥なんでココアなんだ?」
「‥‥‥。」
「‥‥‥。」
 数秒間、二人の間に微妙な空気が流れる。
「きゃあきゃあきゃあ。」
 ちなみにこれは背後から聞こえてくる愛美の悲鳴。
 その悲鳴に振り返った龍之介に背後から愛衣が一言、
「そーゆー事聞く奴には、教えてやんない。」
  してみるとこのココアには何らかの意味があるらしい。
 龍之介の頭の上に『?』が5つ、綺麗な扇状になって浮かぶが、この男にわかる訳
がなかった。

                   ☆

「ううう‥‥。ひどいよぉ、どうして助けてくれないの?」
 頭を捻っている龍之介の隣に愛美が無事(無事?)帰還する。衣類のあちこちがヨ
レヨレになっているが、それだけでは何をされたのかはわからない。
「そのカップがどうかしたの?」
 相変わらずカップを見つめている龍之介に愛美が聞く。
「ん? ああ‥‥ココアなんだけど、何か意味があるみたいなんだ。」
「ココア? 切らしてるんじゃ無かった?」
 愛美がカウンター内の愛衣に声をかけると、
「うち(『Mute』)のメニューにはココアなんか無いよ。」
 と答えが返ってくる。しかし龍之介が飲んでいるのは紛れもなくココアだった。
「おかしいなぁ。」
 手近にあるメニューに愛美が手を伸ばすとそれを見た愛衣が
「だめっ!」
 と、取り返そうとする。しかし愛美はそれを詠んでいたが如く身を躱し、メニュー
を開いてしまう。
 ドリンクの項目にそれはあった。一応、ココアと書いてはあるがそれは( )書き
で書いてある。つまり正式には別の名前があった。
「ふぅ〜ん。」
 目だけをメニューから上げ、意味ありげな視線を愛衣に向ける。そして、
「じゃあ私にも頂戴、これ。」
 わかりきった答えを聞く為に言ってみる。
「‥‥今ので最後。」
 予想通りだ。
 愛衣が恨みがましい目で愛美を睨み付けているが、愛美は意に介さない。何しろ愛
美には積もりに積もった恨みがあるのだ。
 スキー旅行では降り続く雪に中に取り残され、今日は今日で謂(いわ)れのない辱
めを受けた。今こそこの恨みを晴らすときだ。

 愛美はニンマリと笑うと、龍之介はもちろん、後ろに座る6人にも聞こえる程の声
で全てをぶちまけた。
「そうかぁ、限定1杯の特別製なんだ。いいなぁ、私も飲みたかったなぁ‥‥
 ‥‥ホットチョコレート。」

 嵐が吹く‥‥。

                          『Lady Generation5』了


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