『恋しさと せつなさと 心強さと』

(10 Years Episode 3)

C-PART


構想・打鍵:Zeke

 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。
 また本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。




「ふわぁ〜」
 龍之介はベッドの上で大きく伸びをした。昨日はあれから色々とプランを練ってい
た為、寝るのが午前一時過ぎになってしまった。
 時計を見ると十時を回っている。普通の日曜なら、とっくの昔(八時)に唯が起こ
しに来るのだが、それが無い。
「って事は、やっぱり直接謝らなきゃ駄目か。はぁ、まあしょうがないか。」
 のろのろと着替え、のろのろと階段を途中まで降りてリビングの様子を窺う。そし
て人影がないと見るや、すばやく洗面所に潜り込んだ。そしてまた、のろのろと顔を
洗い、歯を磨き、髪を整える。
 再びリビングに戻ると、時計は十時半を回っていた。セコイ時間稼ぎだと言われれ
ばそれまでだが、やらずにいられない。
 今度は喫茶店に顔を出す。日曜は唯が手伝っている事が多いのだが、今日はいなかっ
た。
「あら、おはよう。」
 龍之介に気付いた美佐子が挨拶をしてきた。
「あ、おはよう美佐子さん‥‥。えっと、唯はまだ起きてないの?」
「ええ、起こしてきてくれる?昨日、誰かさんが心配掛けたせいで遅くまで起きてた
みたいだから‥‥。」
 クスッと笑い、龍之介の反応を見る。
「そっ、そんな事より、昨日唯に言ってくれた?」
「え?ああ、起きてたみたいだから、『龍之介君が謝ってたよ』って言っておいたわ。」
「なんか言ってた?」
「"わかった"って。でもちゃんと龍之介君からも謝っておいてね。」
「う、うん。それから今日、出かけるから。如月遊園地が今月一杯で閉園するって言
うから、その‥‥唯と一緒に。」
「そう、それがいいわ。きっと唯も喜ぶと思う。」
 それを聞くと美佐子は本当に嬉しそうに、にっこり笑った。

 一旦リビングに戻った龍之介は、もう一度頭の中で条件を整理した。
「テレビのチャンネル権は向こう半年、おやつは三ヶ月、小遣いは一ヶ月。おやつは
 半年まで妥協できるが、小遣い一ヶ月は絶対譲れないぞ。これで許してくれなかっ
 たら、土下座でもなんでもして許して貰おう。」
 意を決して龍之介は唯(と美佐子)の部屋のドアをノックした。

「唯、起きてるか?」
 返事はない。
「入るぞ。」
 ドアを開け放ち、中へと入り本棚に掛けられた『Yui's SPACE』と書かれたボード
を横目に、ベッドへ近づく。
 ベッドが"こんもり"と盛り上がっている為、龍之介には頭から布団を被っている様
に見えた。
「唯、起きてるんだろ。」
 相変わらず無言
「昨日の事は全面的に俺が悪かった、この通り謝る。もう"忘れろ"なんて言わないし、
 俺だって‥‥だから、その‥‥許して下さい。」
 ここまで誠心誠意に(龍之介にしては)謝っているのに、唯の反応は無い。
「‥‥ゆいちゃ〜ん」
 業を煮やした龍之介が、猫なで声を出しながら、布団をほんのちょっとめくってみ
る。そして目を見張った。
「ゆい!」
 今度は一気に布団をめくり取る。ベッドには唯ではなく、巨大なペンギンのぬいぐ
るみが横たわっていた。呆然とする龍之介の目の前をヒラヒラと紙が舞い降りて、ペ
ンギンの顔を覆うようにして落ちた。
『お兄ちゃんのバカッ!』
 紙にはでかでかと、そう書いてあった。

 部屋を見回し、本棚の下にある物入れを開ける。そこには、ある筈の唯専用の旅行
鞄が無い。頭の隅で「まずいかな」とは思ったが、ドレッサーを開けてみる。二、三
着を残して、後は消えていた。
「あの馬鹿。」
 転げるように部屋を出て、リビングから喫茶店で開店準備をしている筈の美佐子に
呼びかける。
「美佐子さん!」
 喫茶店の勝手口から美佐子が顔を出す。
「どうしたの? ちゃんと唯に謝った?」
「それどころじゃない! 唯が‥‥唯がいないんだ!」
「あら、変ねぇ。どこ行ったのかしら?一言声を掛けてから出掛けてくれればいいの
に‥‥。」
 ボケたセリフを吐いた美佐子だが、龍之介の狼狽した顔を見て、ただ事では無い気
配を感じ取った。
 龍之介が先程の紙を差し出す。
「どういうことなの?」
 最早「いつか話す」では済まなくなってしまった。龍之介は意を決して、美佐子に
全てを話そうと口を開いたその時、
 TRRR‥‥ TRRR‥‥
 一瞬顔を見合わせる美佐子と龍之介。電話機に近い龍之介が三コール目が鳴り終わ
る前に受話器を上げた。
「もしもし‥‥」
 が、受話器の向こうからは何も聞こえない。
「もしもし!‥‥唯か!? どこにいるんだ? ‥‥もしもし?」
「もしもし、その声は龍之介?涼子だけど‥‥」
 声の主は美佐子の義理の妹、もっと簡単に行ってしまえば、亡き唯の父親の妹であ
る木原 涼子からだった。
「なんだ、涼子さんか。」
 龍之介の声のトーンが一段落ちる。
「何の用だよ。」
「美佐子お義姉さんは? 元気?」
「ああ、元気だよ。今かわる。」
「あ、元気ならいいのよ。それじゃ。」
 プツリ、と回線が切れる音。
「どうしたの? 唯から?」
 パタパタとスリッパの音をさせながら、美佐子が近づいてくる。
「いや、涼子さんからだったんだけど、訳が分からないんだよ。美佐子さんが元気か
 どうかだけ聴いて切れちゃって‥‥。」
 受話器を置きながら答える龍之介。
「涼子ちゃん? 何かしら?」
「全く、いったい何の用で‥‥そうか!」
「あ、龍之介君‥‥」
 美佐子が止めるよりも早く、龍之介は家を飛び出していた。

            ☆            ☆

 外部音声に切り替えた電話機から呼び出し音が響いている。
 一回‥‥、二回‥‥、三回目‥‥の呼び出し音は鳴らなかった。相手が受話器を上
げたからだ。
『もしもし』
 外部音声にしているせいか、ややくぐもって聞こえるが、間違えようもない。
『もしもし! 唯か!?』
 一瞬、身体が震える。受話器を取って叫びだしたい衝動に駆られる。が、頭の中で
「ごめん、忘れてくれ。」の声が響き、思いとどまる。
『もしもし、唯だろ? どこにいるんだ。』
  それでも身動きしない唯。その横から手が伸び、受話器が持ち上げられる。
「もしもし、その声は龍之介? 涼子だけど‥‥美佐子お義姉さんは? 元気?
 あ、元気ならいいのよ。」
 それで会話は終わりだった。
「心配はしているみたいね。」
 受話器を置いた涼子が、彼女にとって唯一血の繋がった姪へと目を向ける。
「心配してるのは、妹としてだよ‥‥きっと。」
「そうかなぁ。でも、唯は妹として心配されているだけじゃ、不満なんだ。」
「関係ないよ、唯はもうお兄ちゃんの事、何とも思っていないから。」
(何とも思っていない娘は、家出なんかしないでしょうに‥‥。)
 やれやれと、涼子は心の中でため息をついた。
「じゃあ、龍之介が迎えに来ても帰らないの?」
 涼子も、我ながら意地悪な質問かな、と思った。
 唯は暫く黙り込み、そして
「関係‥‥ないもん。」
 そう答えて、俯いた唯を見た涼子が苦笑する。さっきから、唯の態度が誰かに似て
いると思っていたのだが、ようやくわかったからだ。
 美佐子ではない、そしてもちろん唯の父親である死んだ兄でも無かった。
 自分自身、涼子も今の唯のように、亡き両親や兄を困らせた様な記憶があった。
「帰らないの? じゃあ、お母さんもこっちに呼んで、四人で一緒に暮らそうか?」
(え?)と顔を上げる唯。
「でも、そうすると龍之介は独りぼっちになっちゃうわね。」
 そう言って、唯の目を覗き込む。唯はその涼子の視線から目を逸らし、
「お、お兄ちゃんは、女の子にモテるから唯がいなくなっても、全然寂しくなんか
 ならないよ。」
「あははは。龍之介がそんなにモテるわけないじゃない。」
「もてるもん!」
 外した視線を戻し、涼子の瞳(め)を正面から見据える。
「凄いんだから、陸上記録会でのリレーで、上級生まで抜いちゃって、陸上部からも
 お誘いが掛かって、女の子にも沢山ラブレター貰ったんだから。」
 一部誇張はあるが、女の子から手紙を(しかも複数)貰ったのは事実だった。
「それに小学生の頃だって‥‥」
 この後唯は涼子に、龍之介が如何に女の子に人気があったかを熱弁することになる。

 どんどん過去に遡って行く話を、涼子は黙って聴いていたが、その視線に気付いた
唯がハタと話すのをやめた。
「ねぇ、帰ってあげれば?」
 涼子がくすくす笑いながら聴いてやる。だが唯は、フイと横を向き、
「関係ないもん‥‥」
(ほーんと、そっくりね。)
 またも苦笑する涼子。過去の自分に対する気恥ずかしさもあったのだろう。彼女は
それを隠すかの様に
「あ、もうお昼だね。何が食べたい? 買ってくるよ。」
 実際、昼に近いこともあったが、電話をしてから一時間半が経っていた。早ければ
そろそろ着く頃だろう。
「何でもいいよ。」
「じゃ、留守番お願いね。哲(涼子の夫)から電話があったら、今日遅くなるかどう
 かだけ聴いておいて。」
「そう言えば、今日哲也おじさんは?」
「休日出勤。サラリーマンはつらいわよね。じゃ、行って来るね。」
「行ってらっしゃい。」

            ☆            ☆

 唯に送り出された涼子は、繁華街の中心、つまり駅前に立っていた。ちょうど電車
が入ってきたのか、人がパラパラ改札から出てくる。
「さすがにまだ無理か‥‥。」
 呟いて時刻表わ見上げる。次は十五分後だった。
「うーん、中途半端な時間ね。十五分で買い物終わるかしら?」
 呟いて何気なく改札口に目をやると、階段を転がるように降りてくる人影があった。
「へぇー。あの様子だと家から走り通しね。」
 改札から出てくる人影を迎えるべく、涼子が一歩踏み出したところで、その人影は
駅員になにやら呼び止められている。どうやら区間料金の不足らしい。
「なにやってんだか‥‥」
 涼子はその人物、龍之介と駅員に近づき
「いくら?」
 声を掛けられた龍之介は驚いたようで声が出ない様子だ。代わりに駅員が無味乾燥
な声で「百二十円です」と応じた。
 涼子が百円玉と十円玉二枚を駅員に手渡す。
「さ、さんきゅ。」
 珍しく祝勝な龍之介。
「何やってんのよ、お金無いの?」
「いや、乗り換えの切符買うときに急いでて、五百円玉の分しか買わなかったか
 ら‥‥。それよりこの駅、改札の位置変わったのか? 前は反対側に有ったような
 気がしたんだけど?」
「そういや、唯もそんな事言ってたわね。」
「やっぱりこっちにいるのか。で? どこにいるんだ。」
 周辺を控えめに見回しながら、涼子に尋ねる。
「ここにはいないわよ。帰りたくないって。」
「ったく、しょーがねーなー。」
「なにが、"しょうーがねーなー"よ、誰のせいかわかってんの?」
 そう言って、龍之介の耳を思い切り引っ張る。
「いてててっ! だ、だからこうやって謝りに来たんじゃないか。」
「そりゃ感心だけどね、唯に許しを請う前に私を説得して貰うよ。」
「な、なんで涼子さんにそんなこと‥‥いててててっ!」
 耳を引っ張る手に力が加わったようだ。
「あのね、唯は私にとって、たった一人の血の繋がった人間よ。泣かせるような人間
 と一緒に住まわしたくないの。」
 そう言って、涼子は龍之介を手近な喫茶店に引きずり込んだ。
 
            ☆            ☆

「お姉ちゃん、遅い‥‥。」
 そのころ唯は飢えていた。朝何も食べずに出てきてしまったのだから当然と言えば
当然だろう。
 ちなみに唯は、叔母である涼子のことを『お姉ちゃん』と呼ぶ。
 涼子は現在28歳で、唯が生まれたときは、15歳だった。中学3年で、実質
『おばさん』になってしまった涼子は、かなりショックだったらしく、事あるごとに
兄の住んでいたアパートに通い、目も空かない唯に向かって
「唯ちゃ〜ん、涼子お姉ちゃんですよ〜。」
 と刷り込みを繰り返していた。
 その涙ぐましい努力が実ったのか、唯は未だに涼子のことを、お姉ちゃんと呼んで
いた。
「お姉ちゃん、遅いなぁ」
 唯はもう一度呟くと、時計を見上げた。
 時計の長針が一回りしようとしていた。

                  ☆

「お待たせいたしました。」
 そう言ってウェイトレスが二つのアイスコーヒーを置いていってから10分が経っ
ていた。その間二人は一っ言も声を発していない。
 グラスの中の氷が、自己の融解によりカラッと音を立て、黒い液体の中で踊った。
 それが合図だったかの様に、龍之介が口を開く。
「俺に何か話があるんじゃなかったのか?」
 その一言で、ようやく涼子が動いた。と言っても、アイスコーヒーに手を伸ばした
だけだが‥‥。
「聞きたいことがあるなら、早くしてくれ。」
「私が聞くんじゃなくて、龍之介が話すの! 私から聴くことは、何もないよ。」
(ぐっ!)
 言葉に詰まる龍之介。
 そしてまた訪れる沈黙。
「‥‥ちょっとした‥‥行き違いだよ。」
「ちょっとした行き違いなら、この五年間で何度もあったでしょ、唯が私の所に来る
 なんて尋常じゃないわ。」
「だから、尋常じゃない行き違いなんだってば。‥‥内容は言えないけど‥‥。」
「そうゆうのは【ちょっとした】とは言わないの。自信は?」
「は?」
「だから、唯を連れ戻す自信はあるの?」
「解らないけど‥‥俺は一緒に帰るまで引き下がるつもりはないよ。」
「ふーん。まいっか‥‥」
 伝票を取り、立ち上がりかける涼子を見て、龍之介はホッとした。説得に成功した
と思ったからだ。
 口をつけていなかったアイスコーヒーを手に取り、ストローに口をつける。と、
立ち上がりかけた涼子が、
「あっそうだ、これだけは聞いて置きたかったんだ。」
 再び席に腰をおろす。
「なんだよ、さっきは聞く事は何も無いって言っといて‥‥。」
「一つだけよ‥‥龍之介はどうして唯にキスしたの?」
 思わず息を飲む。いや、飲んだのは息だけでなく、ストローにつけていた口からは、
アイスコーヒーが流れ込み、通常そういったものは流れ込まない筈の気管へと導いた。
 結果として‥‥
 ブフォ! ゴホッゴホッ!
「ムセたふりしても駄目よ。」
 容赦なく龍之介に詰めよる涼子、どうやら最初からこのことが聞きたかったらしい。
「なっなっなっ‥‥」
 何か言いたいらしいが、言葉が出てこない。
「なんで私が知っているかって? 唯から聞いたのよ。」
 それでもしっかりと涼子には伝わっているようだ。
「そっそっそっ‥‥」
「そんな事あるわけない? 自慢じゃないけど、私は美佐子義姉さんの次に唯の事を
 理解してあげてるつもりよ。だから、美佐子さんに話せない事でも、私には話して
 くれたんじゃない?」
 どうやら龍之介はこの手の女性が弱いらしい。性格的にみると、愛衣は涼子と同じ
タイプの女性だった。
「言って置くけど、私は真面目に聞いているんだからね。それなりの答を期待するよ。」
(逃げられない‥‥) ゴクリ、と唾を飲み込み、手に持ったグラスの中味を、ス
トローを使わずに一気に飲み干した。
「唯には‥‥言うなよ。」
「それは内容によるわね。」
「頼むよ、涼子さん‥‥」
「いいから言いなさい。」
「(渋々)だから‥‥」

                  ☆

「やっぱり、男手があると助かるわ。これだけの荷物は一人じゃとても無理だもんね。」
「()なんで俺が荷物を持たなきゃけないんだ?」
「文句言わないの、唯には黙っててあげるから。さっ着いたわよ‥‥ただいまぁ。」
 涼子が玄関を開けると、すぐに唯が客間から出てきた。
「お姉ちゃん、おそ‥‥」
 だが、涼子の後ろに荷物を抱えた龍之介を見るや、唯の表情が堅くなる。
「や、やぁ。」
 龍之介がぎこちない笑いを返す。と、唯は部屋の中に戻り、ピシャリ! と襖を閉
めてしまった。
 困ったように、涼子を見るが、
「私は知らない。まっせいぜい頑張って。先ほどの決意とやらを見せて貰いましょう。」
 龍之介が抱えていた荷物を取り上げると、さっさとキッチンへ姿を消す。
 仕方なく客間の前に立ち、襖に手をかける。が、開かない。どうやら中から押さえ
ているようだ。
 強引にこじ開ける事もできようが、それでは逆効果のような気がした。
「お〜い唯、開けてくれ。」
 ‥‥返事はない。
「美佐子さんが心配してるぞ‥‥いや、俺も心配したぞ、もちろん。」
「‥‥。」
「ゆい〜、謝るからさ、許してくれよ。」
 その途端、目の前の襖がスッと開き、龍之介を睨み付けるようにして、仁王立ち
した唯が現れた。
「どうして‥‥」
「?」
「どうして謝るの? 謝らないでちゃんと説明してよ。謝るくらいなら、キスなんか
 して欲しくなかったよ。」
 みるみる唯の瞳(め)が潤み、目に涙が浮かび上がって来た。唯はそれを見せまい
として龍之介に背を向ける。
 龍之介はそれに気付かないフリをして、
「あのな唯、俺はあのことを謝る気なんか全然無いぞ。」
 そこで言葉を切り、唯の反応を見るが、相変わらず背を向けたまま、身じろぎも
しない。
(これで気付いてくれよ〜)心の中で半泣きする。
「‥‥昨日、忘れてくれって言ったよな?」
 ビクッ! 唯の肩が震える。
「えーと‥‥謝るのはそっちの方だ。その‥‥忘れろなんて言って、ごめん。」
 それでも背を向けたままの唯。
「唯‥‥まだ怒ってるのか?」
 おそるおそる訊ねてみる。
「‥‥謝るって、そのこと?」
 ようやく返事が返って来る。
「う、うん」
「唯に忘れて欲しくないの?」
「あ、いや、唯が忘れたいって言うなら、忘れてもいいけど‥‥。」
 ‥‥‥‥ 大地が鳴動する
「それじゃあ答になってないよ。お兄ちゃんは唯に‥‥」

 ズズンッ!

 不意に、下から突き上げるような衝撃が二人を襲った。いや、二人だけでは無い、
次の瞬間、この家全体が激しく揺れ始めた。
「地震!?」
「きゃっ」
 その揺れの激しさに、唯が龍之介にしがみつく。とは言え龍之介も立っていられる
ような状況では無く、唯に抱きつかれた拍子に一緒になって床に倒れてしまった。
 ‥‥
  ズシンッ! ! 
 上の階で何かが倒れる音と、どこかでガラスの割れる音が重なる。
 ‥‥

 だが、揺れは一分も続かずに治まった。
「でっかい地震だったなぁ。」
 壁に寄り掛かるようにして座り込んだ龍之介が呟く。その腕の中には、唯がしっ
かりと抱きかかえられていた。
 吊るされた照明器具が、まだ右に左に揺れている。
「お兄ちゃん‥‥苦しいよ。」
 強く抱き締め過ぎたせいか、腕の中の唯が訴える。
「あ、わるい」
 腕の力を抜くが、唯は一向に離れる気配がない。
「‥‥どした? どっか痛いのか?」
 唯はそれに応える代わりに小さく首を振る。そして龍之介の胸に手をつき、ほんの
少しだけ身体を離すと、龍之介を見上げ‥‥静かに目を伏せた
 その状況で、唯が何を求めているかが解らないほど、龍之介も鈍感ではない。
(これは‥‥仲直りのキス‥‥だよな。)
 頭の中で変な言い訳をして、唯にそっと唇を寄せる。

「いやぁ〜、凄い地震だったね。二人とも大丈夫だった?」
 ハッ と二人同時に目を開けると、そ(唇)の距離は1センチも無かった。
「あら? もしかしてお邪魔だった?」
 誰がどう見てもお邪魔なのだが、その割には一向に立ち去ろうとしない涼子。
 もっとも立ち去ったところで、続きが出来る訳ではなかったが‥‥。

 真っ赤になって、のそのそと離れる二人。そんな二人を冷やかすように、
「その様子だと仲直り出来たみたいね。 唯、帰るでしょ?」
 まだ真っ赤になっている唯に向かって聞くが、本人はそれ所ではないようだ。
 ふっ、と息を吐き、唯と同様真っ赤になっている龍之介に向かって、
「上で何かが倒れてみたいなんだけど、見てきてくれない?」
 こちらは、これ幸いとばかりに部屋を出て、階段を上がって行く。
「じゃ、唯はキッチンを手伝って。あ、スリッパ履いてね。破片が危ないから。」
 キッチンは【惨状】という言葉がぴったり当てはまるような有り様で、開いた食器
棚から、皿や茶碗が飛び出し、無惨にその分身を床に曝(さら)していた。
「手、切らないように気をつけて。」
 その後二人は、破片を拾い集める作業を黙々と続けた。

『先程、○○地方を中心とする大きな揺れが観測されました。震源は△△県西部の深
 さ20キロで、地震の規模を示すマグニチュードは、5.8でした。
  尚、この地震による津波の心配はありません。各地の震度は、次のようになって
 います。』
 テレビのアナウンサーが、その地域と震度を順に読み上げていく。
「へぇー、震度5か。良く揺れたもんねー。ま、このほぼ真下が震源じゃしょうがな
 いか。」
 ガスは危険なので、ホットプレートを使ってヤキソバを炒めながら、涼子が傍らの
唯に話しかける。
「‥‥」
「ねえ唯、もしかして怒ってる?」
「‥‥」
「ごめんね。あと一分くらい遅れて行った方が良かったね。」
 ボッ と唯の顔が再び桜色に染まる。
「お詫びに良いこと教えて上げる。龍之介がどうして‥‥」
「こら‥‥。」
 ダイニングの入り口に、"それは言わない約束だろ"と言わんばかりの目つきで、涼
子を睨み付ける龍之介の姿があった。
「いいじゃない別に‥‥」
「それ以上言ったら、この封筒のことを哲也さんに言うぞ。」
 右手に持った茶封筒を龍之介が掲げると、涼子の顔から笑いが消えた。
「そ、それをどこで‥‥」
「二階の本棚が倒れて、本が散乱していたんだけど、その中にあった。」
「中、見たの?」
「ああ、福沢諭吉が10人ほどいるな。」
 世に言うヘソクリという奴らしい。
「返しなさい。」
「別に盗るつもりはないさ。そのかわり‥‥」
「わかったわよ。」
「じゃ、交渉成立だな。もし破ったら‥‥」
「それはお互い様よ。」
 妙な緊張感の中、茶封筒はが龍之介の手から涼子へ。
 唯はそんなやりとりを横目で見ながら、涼子の代わりにヤキソバを炒める一方で、
小さくため息をついた。

「はい、お兄ちゃんの分。」
「なんかやけに龍之介の分だけ盛りが多くない?」
 確かに龍之介の皿に盛りつけられたヤキソバは、他の二皿の1.3倍(当社比)位
だろうか。もっとも唯がよそったのなら、当然の結果と言えるだろうが‥‥。
「いいんだよ、俺は男なんだから。」
「無芸大食()」
「うるさいな。唯、これ喰ったら帰るぞ。美佐子さんだって心配しているんだからな。」
「無理みたいよ。」
 ヤキソバをかき込みながら主張する龍之介に、涼子が箸でテレビを指しながら答え
る。

『先程の地震の影響で、各交通機関にかなりの支障が出ている模様です。』
 アナウンサーが、無表情に影響の出ている鉄道を読み上げていく。
 言うまでもなくその中には、さっき龍之介が乗ってきた線の名前もあがっていた。
『尚、震源に近い△△線の復旧は、今夜半から明日の朝になる模様です。』
 これまた言うまでもなく‥‥以下略。

            ☆            ☆

「唯、起きてるか?」

 結局、その晩二人は木原邸に止まっていくことになった。翌日が今日(秋分の日)
の振替休日だったので、無理をして(電車が動き出すのを待って)帰る事も無いだろ
う、と言うのが美佐子と涼子、そして唯の一致した意見だった。
 龍之介はもちろん帰りたかった。なぜなら、涼子に爆弾のスイッチ(キスした理由)
を握られているからだ。
 もっとも3対1、哲也が帰ってきてからは、4対1になってしまっては、諦めるし
かなかったが。
 加えて、龍之介には気になることがあった。それは唯が本当に許してくれたのか?
ということだ。
 何故かというと、夕食の時までは、あれこれ自分に世話を焼いていてくれたのに、
その後はなんか避けられているいる様な気がしたからだ。
 現に、この客間に入ってからは、「お休み」の一言だけで背を向けて、さっさと
布団を被ってしまった。
 昼間のあの出来事を考えれば、当然許してくれたのだろう、と思ったのだが、こう
いう態度に出られたのでは、不安になってしまう。

 一方の唯は、もちろん起きていた。
 では何故返事をしなかったのか? 照れくさかった、という訳ではない。
 話は夕食が終わり、唯が涼子と共に、キッチンで後片づけをしているところまで遡
る。


「ねえ、お姉ちゃん。」
 塗れた食器を布巾で拭きながら、唯は小さな声で横に立つ涼子に声を掛けた。
 龍之介は隣の居間で、哲也を相手に将棋を指している。
「ん? なに」
「昼間言ってた良い事って何?」
 涼子は水道の蛇口を閉め、
「もしかして邪魔したこと、まだ怒ってるの?」
「そういう訳じゃないけど‥‥」
 口ではそう言っているが、顔には肯定の色が浮かんでいる。
「どうしよっかなぁ。龍之介に口止めされてるし‥‥。」
 居間の方を振り返る涼子。唯も釣られて振り向く。龍之介は将棋の分が悪いのか、
盤に神経を集中しているようだ。
「教えてくれないなら、唯があの封筒の事を、おじさんに言ちゃってもいいんだよ。」
「あはは。唯がそんなこと言うなんて珍しいね。そっか、唯からばれちゃう可能性が
 あったんだ。」
 うーん、と腕組みをして二、三秒考える(つまり、考えたフリをする)涼子。
「いいよ、教えてあげる。そのかわり、龍之介には内緒だよ。」
 こくり、と首を縦に振る唯。
「あのね、【かわいかった】からだって。」
「え?」
「昼間、ここに連れてくる前に訊いたの。"どうして唯にキスしたの?"って。そした
 ら、【かわいかった】からだってさ。」
 瞬間、唯の顔が朱に染まる。
「あと、唯じゃなきゃあんな事しないって、慌てて付け加えてたわね。」
 これは涼子が
『お前は、かわいけりゃ誰とでもキスするのか?』
 と、詰め寄って得られた言葉だったが‥‥。
 益々赤くなる唯。
「良かったね。‥‥でも、安心しちゃ駄目だよ。私には信じられないけど、唯の話だ
 と龍之介はもてるんでしょ? そうゆう奴は、油断するとすぐに離れて行っちゃう
 から‥‥。」
「ど、どうすればいいの?」
「そういう時はね、追いかけちゃ駄目。こっちがおいかけられるようにするの。」
「良くわかんない。」
「今回やったような事よ。ちゃんと龍之介が追いかけてきてくれたでしょ。」

 で、唯なりに考えて出した結論が、これである。案の定、龍之介の方から声を掛け
てきた。

            ☆            ☆

「唯、起きてるか?」

「何? 起きてるよ。」
 努めて、抑揚のない声で答える。
「なあ、まだ怒ってるのか?」
「‥‥お兄ちゃん、唯がどれだけ傷ついたかわかってる?」
「だから、さっきから謝ってるじゃないか。」
「‥‥‥‥。」
「機嫌直してくれよ、な。何でも言うこと聞くからさ。」
「‥‥いくつ?」
「‥‥いくつって、一つに決まってるじゃないか。」
「いくつ?」 
「‥‥。」
「いくつ言うこと聞いてくれるの?」
「‥‥わかった、三つだ。」
 それを聞くや否や、上半身を起こし、振り返る唯。
「(にぱっ)じゃ、一つ目。‥‥もう一回キスして。」
 今度は龍之介の方が背を向け、布団を被る。
「‥‥お休み。」
「あーっ、ずるい! 今、言うこと聞くって言ったのにぃ。」
「ぐー(狸寝入り)」
「あっそ。友美ちゃんに言い付けちゃお。」
 ぴくっ! と、龍之介の肩が揺れる。

(もし、唯が友美に言い付けると‥‥)
『龍くん、唯ちゃんにキスしたんですって? 酷い事するわね。居候という弱い立場
 の唯ちゃんに無理矢理キスをするなんて‥‥』
「ちっ違うんだ友美! 理由(わけ)を聞いて‥‥」
『うるさい! もう勉強も教えて上げないし、宿題も見せて上げない! 唯ちゃんと
 美佐子さんも家に住んで貰うわ。』
「あの、それじゃ俺のメシは‥‥」
『カップめんでも啜(すす)ってなさい!』

(ぞぞっ!)
「わ、わかったよう。」
 シュミレーションの結果、ここは唯に従った方が良いと出た模様だ。
  のそのそと上半身を起こし、唯に向き直る。
「はい」
 そう言って、左頬を差し出す唯。
「な、なんだほっぺか‥‥」
 ホッとしたような、ガッカリしたような声。
「え?」
「な、なんでもない。」
 沈黙が流れる。
「‥‥お、お兄ちゃんが、そうしたいって言うなら‥‥唯はいいよ。」
  唯が顔を正面に向け、目を閉じる。
 こうなると引き下がるわけには行かない。唯に顔を寄せ‥‥たところで、何かが頭
を過(よ)ぎった。
 結果として、龍之介の唇は、見事な回避行動をとり、唯の頬に接触する。
 一瞬後、顔を離すと、唯と目が合う。どこか不満そうだ。 
「なんだよ。」
「‥‥別に。じゃ、お兄ちゃんも横向いて。」
「なんでだよ。」
「お返し。唯がキスして上げる。」
「い、いいよ俺は。」
 後ずさる龍之介。
「‥‥お母さんに言っちゃおうかなぁ?」
 龍之介の動きが止まる。

(唯が美佐子さんに言い付けたとすると‥‥)
『龍之介君、いやがる唯に無理矢理キスしたんですって? 龍之介君は私たちをそう
 いう目で見ていたのね。そんな子とは一緒に住めません。今日から友美ちゃんの所
 にご厄介になります。』
「あの、それじゃあ俺のメシは?」
『カップめんでも啜ってなさい!』

(ぞぞぞっ!)
「わかった。」
 大人しく左頬を差し出し、目を閉じる。すると、さっき頭を過ぎって行った人物の
顔が、再び浮かび上がって来た。
(な、なに怒ってるんだよ。仕方ないだろ、こうしないと許してくれないって言うん
 だから‥‥。大体、先輩だって仲直りしろって言ったじゃないか!)
 心の中で、必死になって言い訳をするが、愛衣の目つきは鋭さを増すばかりである。
 そして、龍之介が左頬に唯の唇を感じたときに龍之介の頭の中で、愛衣の怒りは頂
点に達した。

            ☆            ☆

 翌日 如月駅

 秋分の日の振替休日ではあっても、駅構内はひどく混んでいた。
「待ってよ、お兄ちゃん。」
「あんまり離れるなよ。ほれっ」
 唯が差し出した右手を、龍之介は何の躊躇も無しに握る。駅を出てからも手を繋い
で人混みの中を歩く二人。
 この人混みの殆どが、今月閉鎖される予定の如月遊園地へと向かっていた。

「あれっ? 龍之介じゃない。」
 声のした方に龍之介が目を向けると、そこには大きな紙袋を抱えた愛衣が立ってい
た。
「なんだ、先輩か。何やってんだ? こんな所で遊んでないで、仕事しろよ。」
「お生憎様、これもお仕事なの。‥‥ふーん、仲直りしたんだ。」
 愛衣の目は、龍之介と唯の中間に注がれていた。
 それに気付いた龍之介が、慌てて繋いでいた唯の手を振りほどく。

 瞬間、唯の頭の中で、黄信号が点灯した。
『コノ女性(ひと)ハ危険ダ』
 この時点で昨日涼子に言われた『追いかけちゃダメ』は雲散霧消した。
 とっさに振り解かれた右手を、龍之介の左腕に絡め直す。
 慌てたのは龍之介だ。
「な、何やってんだよ。」
「二つ目のお願い。唯と腕組んで。」
「ふたつぅ? 三つ目の間違いじゃないのか?」
「二つ目!」
「だってお互いがキ‥‥」
 そこまで言って言葉を切る。公衆の面前で、いや、愛衣の前で、お互いがキスしあっ
たなどと、言えるわけがなかった。
「あれで一つなの。ほら、早くしないと遊園地が混んじゃうよ、行こう。」
「遊園地?」
 今度は愛衣の眉が、ピクッと動く。
「そ、それじゃ先輩、またお店に寄るから。」
 そう言い残して、龍之介は唯と共に人混みの中へ消えて行った。

            ☆            ☆

 カララン!

「お早うございます。」
 紙袋を抱えながら、ピザハウスのドアを器用に開けて、愛衣が店内に入る。
「ああ、叶くん、ご苦労様。悪いね、重かっただろう?」
「いえ、大したこと無いですよ。」
 ドサッ! と紙袋をカウンターの上に載せる。
「‥‥どうしたの?」
「え? 何がですか?」
「いや、なんか機嫌が悪そうだから‥‥。」
「そうですか? 気のせいですよ。」
 どことなく強ばった笑顔を見せて、愛衣はロッカールームへと入って行く。


「機嫌なんか悪くないですよぉ。なにしろ相手は三つも年下なんだから‥‥。」
 独り言をブツブツ言いながら、ロッカーを開けて、シャツを脱ぎ捨てる。扉に付い
た鏡には、不機嫌そのものの自分の顔が写っていた。
「でも、私とあの遊園地で遊んだの、二日前よ。その領域(テリトリー)に、血の繋
 がらない妹とはいえ、他の女の子を連れていくなんて‥‥。」
 ロッカーの中から、店のトレーナーを引っぱり出して扉に手を掛ける。
 仲が良さそうに、腕を組んで歩く二人が、愛衣の頭に浮かんだ。
 !
「龍之介の無神経っ!」
 バァーン!

 ロッカーの扉を乱暴に扉を閉める。
 もちろんその音は、営業準備中のマスターの耳にも届いた。
「やっぱり今日は機嫌が悪そうだな。」
 ボソッと呟くと、店のドアに掛かっている【準備中】のボードを【営業中】に変え
るべく、店のドアへと向かった。


『恋しさと せつなさと 心強さと』  了


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