『スナップ』 ー 瑞穂の場合 ー

 The story Snapshot Frame 2


               written by 古酒
 初夏の日差しが腕を灼き、未だ明けぬ梅雨のために腕に貼り付く空気はその肌
にじわじわと不快な汗を滲ませている。
 その日、専門学校の寮の窓から外を眺めている一人の男性がいた。
 寮の窓からは夕日は見えないが、眼下に拡がる街並みは夕日に映えてその表情
を紅く染めている。

 「明日か、瑞穂と遠出するのも久しぶりだなぁ」
 男はのびをしてぽつりと呟く。その一言を発した後は、ただぼーっと窓の外を
眺めて続けていた。
 どのくらいの時間が経ったのだろう、眼下の景色は紅から蒼に、そして闇へと
表情を変えていた。しかしその闇の中では、白の赤の、はたまた黄色のいくつも
の人工の光が、暗く沈んでしまった町の姿を影として浮かび上がらせている。

 ……
 突然の電話の音で、男の精神は一瞬にして現実へと引き戻されていた。
 …
 「はい、櫻井です」
 電話を取って椅子に腰掛ける。電話の相手はわかっている、毎日聞いている綺
麗な声が男の耳に飛び込んでくる。
 「あ、健太郎くん?」
 「やあ、瑞穂」
 いつもの挨拶から始まるいつもの会話。他人が聞けば他愛のない会話でも、そ
こには二人の想いが詰まっている。

 楽しそうに続けられている二人の会話、しかし今日はまた別のエッセンスもそ
の中に加えられていた。
 「いよいよ明日だね」
 「ええ、今から楽しみだわ、明日はお弁当作ってくるわね」
 その声の調子からは、本当に楽しそうだという雰囲気が感じとれる。
 「ええー、今からなのか、俺なんかずっと楽しみにしてるのに」
 そういいながらも、健太郎の顔は笑っている。瑞穂をからかっているのは明白
だ。
 「もう、意地悪ね…ばか」
 瑞穂の拗ねた顔が脳裏に浮かんできて、健太郎は思わず吹き出してしまった。
 …
 
 お互いの笑い声が重なる。
 二人の時が流れていく…明日は7月7日、その夜空では年に一度の逢瀬が行わ
れるという。


                  あなたの想いの始まりはなんですか。

                   今でもその想いを覚えていますか。

                 思い出したらそっと開いてみて下さい。

                それはとても大切なあなたの気持ちです。


注意!−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
本作品は株式会社ELFより発売されている「下級生」の背景世界を使用して
おります。
ここに登場する、人物、名称、土地名称等は実在するものではありません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                                  壱

                         ー 今日のこの時に ー


 翌日、葉月町駅前、約束の時間となっても現れない瑞穂を待つ健太郎の姿があ
った。ときどき腕にしている時計を気にしながら、それこそ檻の前の猛獣のよう
に駅前でうろうろしている。
 「うーん、っかしいなー、どうしたんだろ」
 高校3年の頃からデートを重ねてきた2人だったが、健太郎が瑞穂を待ったこ
とは一度もなかった。それは健太郎が遅れてきていたという訳ではなく、瑞穂の
方がいつも早く来ていたからだ。

 卯月学園を卒業してからの二人はそれぞれの道を歩いていた。健太郎は専門学
校へと、瑞穂は大学へと進んでいる。
 従って、平日は二人が会うことはほとんどなく、電話での逢瀬が毎日の日課と
なっていた。平日の夕方や土曜日は健太郎の学費、生活費の捻出のためのアルバ
イトでつぶれてしまうし、下手をすると日曜日にもアルバイトを入れなくてはな
らない状況になることもあった。
 だから、たまのデートではお互いに出来るだけ一緒にいるようにしていたし、
心の底から二人でいることを楽しんでいた。

 久しぶりに二人で遠出する。その今日のこの時に瑞穂が遅れてくる、健太郎に
とってはそれこそ異常事態としか言えない出来事である。
 「電話…してみるか」
 近くの公衆電話へと足を向ける。テレフォンカードが電話機に吸い込まれるの
を確認すると、すばやく番号を押す。もう数え切れないほど何度も押した順列だ、
指が覚えてしまっている。
 ………
 一回、二回、三回…誰も出ない。
 …
 「はい結城です…」
 「あっ、瑞穂?」
 「ただいま留守にしておりますので…」
 …
 「留守…か」
 テレフォンカードを取ると、無雑作にポケットにつっこみ、きびすを返す。
 「うわっ」
 驚いて身体をのけぞらせてしまった。
 振り向いた目の前にいきなり瑞穂の顔があったのだ。
 「きゃっ」
 健太郎の驚き方に驚いたのか瑞穂の方も小さな悲鳴を上げる。
 「みみみ、みずほ」
 「ごめんなさい、健太郎くん」
 そう言って、瑞穂は目の前で手を合わせ片目をつむる。健太郎自身は怒ってい
たわけではないし、むしろほっとしていたので、
 「いや、別にいいよ。ちょっと心配したけどな、いったいどうしたんだ、瑞穂
が遅れるなんて珍しいじゃないか」
 笑ってそう言った。
 「本当にごめんなさい、実は…」
 そう言うと自分の右後ろに視線を落とす。
 そこで始めて気がついたが、瑞穂の後ろに隠れるようにして、6〜7歳ぐらい
の女の子がぴったりと貼り付いていた。
 「あれ、その子は」
 「うん、それが…」


         §              §


 「なるほどそういうことか」
 取りあえず三人は駅前にある喫茶店の一つに入っていた。そこで健太郎は瑞穂
の遅れた理由と瑞穂の連れてきた女の子の事を聞いていた。
 女の子の名前はゆきと言って、瑞穂のいとこになるらしい。
 昨晩から親戚一家で訪ねてきていたのだが、今朝になって、どうしても両親と
その親戚夫婦だけで出かけなければならなくなり、半ば強引に瑞穂に預けられて
しまったというのだ。
 「本当にごめんなさい、あまりにも急だったんで連絡も間に合わなくって。そ
れにせっかく…」
 健太郎はそれを手で制して。
 「俺は怒ってないよ、瑞穂が謝ることでもないさ」
 そう言って、ゆきに顔を向けて言う。
 「ね、ゆきちゃん。お兄ちゃん達とこれからハイキングに行こうか」
 それまで所在なさそうに椅子に座り、足をぶらぶらさせていたゆきがそれを聞
くと満面に笑みを浮かべて頷いた。
 「うん、いくぅ」
 「健太郎くん、いいの?」
 瑞穂がおそるおそる聞く。
 「いいも何もないさ、二人っきりとはいかなかったけれど、たまにはこんなデ
ートもいいだろ。さ、行こうぜ」
 そう言って席を立つ健太郎。
 慌てて席を立つ瑞穂。ゆきの手を引いて先に歩いていく健太郎を見つめる目は
限りない優しさに満ちていた。


                                  弐

                          ー ゆうきみずほ ー


 「……と言う訳なの、お願いできるかしら」
 わたしはみずほ、ゆうきみずほっていうの。ことし7才になったのよ。
 今日はいとこのおねえさんの家にきているの。
 「えっ、でも私今日は約束があるのに」
 きょうはねえ、おとうさんとおかあさんが だいじなおしごとでおうちにいない
の、だからここにいるのよ。
 「私たちも学会があるから、すぐに行かないといけないし…」
 おじさんとおばさんもお出かけするのね。じゃあ、おねえさんと二人きりなの
かな。
 「仕方ないわねぇ、じゃあ連れて行くしかないか。時間もないことだし」
 あれ、どこかおでかけするのかな。おねえさんがこっちにきた。
 「ねえ、瑞穂ちゃん。今日はお姉ちゃんとお出かけしよう。いい?」
 やった、もちろんわたしはにっこりわらって、大きくうなずいたの。
 あれ、でもおねえさんはためいきついてる。ほんとうはいやなのかな。
 「え、ああ、ごめんなさい。私はいいんだけどね…とにかく行きましょう」
 なんだかわかんないけど…いっか。どこにいくんだろうなぁ、たのしみ。


         §              §


 おねえさんといっしょに来たのは、あれ、えきだ。おねえさん、なんだかとけ
いを気にしてるみたい。
 「瑞穂ちゃん、ちょっと急いでいい?」
 もちろんいいけど、おねえさんについていくのってちょっとたいへん
 あ、おねえさんがえきのまえで立っているおとこの人のところにちかづいてる。
 はなれないようにしなきゃ。
 「おっそーい、何してたんだよ」
 「ごめんなさい。実は」
 おねえさんとおとこの人がおはなしはじめちゃった。ふう、ちょっとたいくつ。
はやくどこかいきたいのにな。
 「え、なんだよそれ…」
 「でも、しょうがないじゃない」
 あ、あんなところにおっきな犬がいる。いいなぁ、ふかふかの毛だ。あんな犬
かいたいなぁ。
 「ったくしかたないなぁ、じゃあ遊園地でも行くか」
 「ごめんねぇ、あれ、瑞穂ちゃーん」
 あ、はーい。あれ、どうしたんだろう、おとこの人がぶすっとしてわたしのこ
と見ている。
 「瑞穂ちゃん、じゃあ今からお姉ちゃんとお兄ちゃんと三人で遊園地いこう」
 わあ、やったぁ。あれ、おにいさんがすたすた歩いていく、あの、おにいさん
わたしのこときらいなのかなぁ、ちぇ。


         §              §


 ゆうえんちはおもしろかったの。えーと、まわるこーひーかっぷにのったり、
かがみだけのめいろにはいっていったりしたの。
 かがみのめいろの中で きゅうにわたしがいっぱいになって あしがもつれちゃ
ってころんじゃったんだけど、そしたらきゅうにおにいさんがかけよってきて、
わたしをだきおこしてくれたの。
 わたしがありがとうっていうと、おにいさんはぶすっとしたかおになって また
はなれちゃった。おねえさんは なぜかわらってたわ

 わたしはじぇっとこーすたーにものりたかったんだけど、かかりのおじさんが
だめだって言ってのせてくれなかった。ちぇ。

 おばけやしきにも入ったの。わたしはとてもこわかったから おねえさんにしが
みついてたのだけど、そしたら、おにいさんがだきかかえてくれた。よくわから
ないんだけど ちかくでだれかがくすくすわらってた。あれっておばけのわらいご
えかな。

 わたしがめりーごーらんどにのったときに おにいさんとおねえさんは ならん
でわたしを見ていたわ。わたしが手をふるとおにいさんもおねえさんもわらって
手をふってくれた。おにいさんがわらってたのよ、へんなの。

 さいごにかんらんしゃにのったの とおくが みわたせてきれいだった。おにい
さんもおねえさんも にこにこしてた。

 かえりみちでわたしは ねちゃったの。おにいさんがおんぶしてくれたみたい。
 わたしのゆめのなかで おねえさんとおにいさんが おはなし してた。
 おねえさんはごめんねっていうんだけど、おにいさんはわらって こう言うの、
 ふたりきりじゃなかったけど、たまにはこんなでーともいいさ、って。
 おねえさんはおにいさんにちかづいて きす してたわ。おねえさんはおにいさ
んがすきなのね。
 なだかゆめのなかでもねむくなっちゃった。おやすみなさい…。


                                  参

                              ー 高原 ー


 葉月町駅から電車を乗り継いで1時間ほどの所にその湖はある。健太郎たち3
人は、その高原の湖の畔にやってきていた。
 休日の午後、晴れ渡った空にそれを一点の曇りもなく映し出す湖、そしてその
湖の周囲の半分は森と林の中間程度の木々で覆われている。そんなロケーション
にも関わらず、人出はほとんどなかった。
 少し向こうの方に親子連れが来ている。
 「おとーさーん、おかーさーん、ほらこっちこっちぃ」
 「あー、ねーちゃーん、まってよう」
 姉弟であろうか、姉の方は10歳ぐらいに、弟の方は姉より3ー4歳幼く見える。
 「さくや、裕、あぶないわよ」
 軽くウェーブのかかった長い黒髪の女性が言う。母親だろう。
 缶ジュースを片手に父親らしい男が笑っている。

 「この辺でいいか」
 健太郎が腰を下ろしながら言う。
 「綺麗な空気、いい所ね」
 「だろう、結構穴場なんだぜ」
 健太郎は得意げだ、自分が良いと思ったものを認めてもらうのはやはり嬉しい
ものなのだろう。
  健太郎の服をゆきが引っ張っている。
 「ん、どうしたの」
 「あのね、あっちにいってみたいの」
 ゆきは湖を指さしている。湖の表面は夏の日差しを反射して、きらきらと輝い
ている。
 「ようし、じゃあお兄ちゃんと遊ぼう」
 「わあいっ」
 ゆきは本当に嬉しそうだ。
 「瑞穂も行こうぜ」
 「ええ、行きましょう」
 そして湖の畔でびしょびしょになるまで遊ぶ三人の姿を七月の太陽が照らして
いた。


         §              §


 「さあ、どうぞ」
 木陰で座り込んでいる健太郎達の前に並べられたのは瑞穂お手製のお弁当だ。
 「わ、すごーい、いただきまーす」
 ゆきは大はしゃぎで食べ始めた。
 「み、瑞穂…」
 「え、なに、健太郎君」
 きょとんとした顔の瑞穂に健太郎が小さな声で囁きかける。
 「うまそうなんだけど、この量っていったい…」
 「あはは、ちょっと張り切りすぎたかしら」
 そう言って瑞穂は舌をちょっと出して笑う。
 確かに3人、いや、ゆきは予定外なのだから2人で食べるには多すぎる量の弁
当が広げられている。
 「……はは、まあ、いいか。さ、食べようぜ」
 「ええ、ゆきちゃん、おいしい?」
 「うん、おいしい」
 ゆきは上機嫌で食べている。
 「ん、んまいや」
 「どういたしまして、どんどん食べてね」


         §              §


 「ふう、食った食った、ごちそうさまうまかったよ」
 「おそまつさま、でも大丈夫?」
 瑞穂がくすくす笑いながらいう。健太郎の腹は見た目にもわかるほどふくれて
いる。まあ、4〜5人前はあろうかという弁当を平らげたのだから無理もないと
いえばそうなのだが。
 「おう、大丈夫だぞ。ちょっとしばらく動けそうにないけどな」
 腹をぽんぽんとたたきながら言う。
 「ふふ、何も全部食べることもないのに」
 「せっかくの瑞穂の手料理なのに残すなんてできるかよもったいない」
 「ありがとう、あ、ゆきちゃん寝ちゃってるわ」
 ゆきは、はしゃぎ疲れたのかすうすうとかわいい寝息を立てている。
 「疲れたんだろう、はしゃいでたからな」
 「うん、…かわいい」
 瑞穂はゆきの顔を見てふと健太郎を見る。
 「あ、健太郎君、口のところにお弁当ついてる、とってあげるわ」
 「お、おう」
 瑞穂は健太郎に近づくと…ふわり
 「えっ」
 ほんの一瞬の感覚であった。
 「みみ、瑞穂」
 慌てて瑞穂を見ると、彼女はちょっとだけ舌を出して赤くなった顔で健太郎に
笑いかけていた。
 「ふふ、お弁当はう・そ、今のは今日のお礼」
 「あ、ああ…」
 「………」
 「………」
 初夏のやわらかな午後の風が3人を包み込んでいく。


         §              §


 、
 3人分の寝息が重なっている。
 「ん…」
 ゆきが身じろぎしている。目覚めようとしているのだろうか。
 「ふ、んっ」
 上半身を起こすと瞼をこすりながら周りを見る。ゆきをはさむようにして健太
郎と瑞穂が寝息をたてていた。
 ゆきは一瞬不思議そうな顔になったが、すぐににこりと笑うとこてんとまた横
になる。
 「パパ、ママ……」
 幸せそうに笑った寝顔でつぶやき、それはすぐに寝息へと変わっていく。


                                  四

                             ー 帰り道 ー


 遠くから声が聞こえる。
 「おーい、ゆいっ、そろそろ帰るぞー」
 「あ、はーい、さくや、祐」
 「はーい」「えー」
 もう一組の家族が帰るようだ。

 「よっ、俺達もそろそろ帰るか」
 寝転がっていた健太郎が勢いよく起き上がって言う。
 「そうね、ゆきちゃん、ゆきちゃん」
 「ん、んーん」
 「ああ、いいよ起こさなくて、俺がおぶっていくから」
 「え、でも…」
 「いいって、それより片付けようぜ」
 そう言って健太郎は周りを片付け始めた。
 「ごめんなさい」
 「そういう事は言わないの」
 「ええ、そうね」
 「よし、じゃあさっさと片づけて帰ろう」
 そして三人は帰路へと……。


         §              §


 夕暮れの卯月町、二つの影が寄り添うように歩いている。
 「ふう、やっと着いたな、結構混んでたよなぁ」
 「そうね、健太郎君大丈夫、ゆきちゃんをずっと背負ったままでしょ」
 「ん、へーきへーき、ゆきちゃんまだ寝てるの」
 「ええ、気持ちよさそうに寝てるわ…かわいいわね」
 瑞穂はそっと健太郎に寄り添い、小さな声でつぶやく。
 「いつか、私たちの…」
 「え、なに、聞こえないよ」
 「ふふ、何でもない」
 健太郎の側を離れると、23歩前に出て振り向き笑顔で言う。心なしか、顔が
赤くなっているようだ。
 「そんな事言うと余計気になるだろう、こら待て、瑞穂」
 「ゆきちゃんを背負ってる健太郎君には捕まりませんよ〜だ」
 「くっそー、言ったなぁ、うわっ」
 健太郎が突然バランスを崩す。
 「きゃ、危ない」
 瑞穂が慌てて健太郎を支えようとするが、健太郎は踏みとどまっていた。
 そしてその片手は、瑞穂の腕をつかんでいる。
 「ふっふっふっ、捕まえた」
 「えっ、ずるいわよ健太郎君」
 「頭脳プレーといってくれ、さあ、どうしてくれようか」
 そう言うと健太郎は片手で瑞穂を抱きしめていた。
 「あっ」
 瑞穂の動きが一瞬止まる。そして健太郎がその耳元でささやいた。
 「そうだよな、いつかきっと……な」

 夕日が町並に沈む時、空を流れる真珠色の河の下、二つの影が一つとなった…。


                  了

戻る